ドッペルゲンガーを操る"本物"の皆さま、ようこそおいでくださいました。
まずは、『ドッペルゲンガー』とは何か?
言わずとも分かるかと思いますが、要するにもう1人の自分にそっくりの分身という意味ですね。
「ドッペルゲンガー」と聞いて圧倒的に思い浮かぶのは、
「ドッペルゲンガーに会うと死んでしまう」かもしれません。
そんなドッペルゲンガーですが、
「会うと死ぬとされる、ネガティブなもの」という考えは当ブログでは関係ありません(笑
気にしないでください。
そうではなく、当ブログではドッペルゲンガーのことを、
本音を隠し、他人や世間による負担を総受けするもう1人の自分などと表現しています。
簡単にいえば、
純粋な他人のためだったり、物事がうまく進むように、演じてられているものがドッペルゲンガー。
時間を忘れて好きなゲームをしたり、鼻をほじってお尻を搔いている姿が本物(ありのまま)の自分。
みたいな感じです。
こんな人は回れ右
「生まれてきた意味があるんだから、偽らなくてもいいだろう」
「毎日頑張っていれば、偽らなくても報われるだろう」
「笑顔でいれば、最終的にはうまくいく」
そういう考えも正解だと思います。
そんな人は、youtubeやアニメを見たほうが有意義な時間を過ごせるので、戻るボタンを押してね。
皆さんは、
「ありのままの自分で居たほうが幸せを感じられる」
みたいなことを耳にしたことはないでしょうか?
しかしわたしは、他人と関わっていく以上、ありのままの自分で居続けることは不可能だと考えています。
いつの間にか、自分を偽りながら誰かと接することに戻るんですよね。
結局のところ、ドッペルゲンガーとして過ごす時間がほとんどなんです。
つまり、わたしが偽りの自分・本物の自分という2つの存在にこだわるのは、
偽りの自分(ドッペルゲンガー)を上手く操り、まずは負担を減らす。
ある程度それらの術を身につけて、本当の自分を楽にしてやろうぜ!
という気持ちが強いから。
当ブログでは以下の4つのポイントを重要視しました。
どれも、ドッペルゲンガーを操っていくうえでは欠かせない要素であると考えています。
本物の自分の負担を減らすために
- 解釈を再定義する
- 疲労と睡眠にもっともっと気を配る
- 良くも悪くも、第一印象に注意する
- 無意識な恥の存在
それぞれどのような目的をもって決定させたのか、ざっくり説明していきます。