小さな依頼でも無闇に引き受けないようにしよう

小さな依頼を簡単に引き受けているとどうなる?

 

 

 

※コミットメントとは?

引き受けたことは責任をもって成し遂げようとすることでした

コミットメントに関する記事はコチラ

 

 

コミットメントに関して、肝に銘じておかなければならないことがあります。
それは、
1度何かを引き受けたら、それが様々な行動を引き起こすことがあるということです。

 

参考

相手に大きな買い物をさせる為には、まずは小さなものを売るところから始めるのが良いとされています。

最初に買わせるのは、どんな安いものでも構いません。
何故なら、
売る目的というのは、儲けを出すことではなくコミットメントさせることにあるからです。
すると自然と、もっと大きな買い物へと流れさせられる期待ができるのです。

例を見てみましょう。

 

 

ある地域にボランティアの人が派遣されました。
その人は住民に、
「○○町を美しく保とう!」という依頼の書面に、署名を頼みました。

「住みやすい町にしましょう!」

「小さいお子様をもつご家庭に配慮し、助け合いましょう!」

といった内容です。

そしてこれに、多くの人が署名をしました。
(※これが小さなコミットメント)

そしてしばらく経ったある日、別のボランティアの人が派遣されました。
その人は、「安全運転をしましょう」と書かれた大きな看板の設置をする為、先日署名してくれた人々に依頼をし、協力を頼みました。

はじめは、安全運転とは無関係の地域の美化の署名だったはず。
にも関わらず、ほとんどの人々がこれに同意をしたのです。

 

 

さて、これは一体どういうことでしょうか?

簡単に言えば、

地域の人々は最初の書面をすることによって、自分自身を見る目が変わったことにあります。

 

 

参考

看板の設置に同意した人々は、
自らを「公民道徳に則って行動する善良な市民」だと見なすようになり、新たに作られた自己イメージとの一貫性を保ちたいと無意識に思うようになったのです。

その為、看板設置という別の公共奉仕の依頼であっても、簡単に人々は依頼に応じました。

 

このことから言えるのは、
私達人間は、一旦依頼に応じるとまず感情に変化が起こるということです。

そしてそれにより、考え方も変わっていくのです。

だからこそ私たちは、
どんなにささやかな依頼であっても、それに応じる場合は十分に気をつけなければなりません。

 

小さな依頼を易々と引き受けていると・・・

最初に応じたささやかな依頼とはほとんど関連の無い・・・
つまり様々な種類の依頼を受けやすくなってしまう!!

 

 

 

コミットメントの隠された恐るべき力

もしかしたらボランティアの本当の狙いは、「安全運転」の看板を設置させることだったのかもしれません。

そう考えられた人が、果たして中に1人でも居たのでしょうか?

看板の設置に協力した人々の中に、
「自分が看板の設置を許可したのは、最初の書面に署名したからだ」

そう考えられた人が、果たして中に1人でも居たのでしょうか?

そして仮にそれに自身が気付いてしまったとき・・・
一体誰に責任を負わせればいい?




一貫性の法則が使われた例

一貫性の法則を利用した例

 

まさに反応が自動的である一貫性が、思考からの退避場所としての役割を果たしているのならば・・・

その無意識な反応を悪用されていても不思議ではないですよね。

特に人々を騙して金儲けをするような悪徳業者にとっては、
一貫性を保とうとする私たちのこの傾向は、まさにお金を掘り起こすかのように利用されてしまう可能性があります。

その為こちらは、
「うわ、やられた・・・!」と気付けることがほとんどありません。

 

例を見ていきましょう。

 

一貫性の法則を利用した例

とあるおもちゃ販売店は頭を抱えていました。

おもちゃの売り上げが上がるのは、クリスマス直前とその最中なのですが、その後はおもちゃの売り上げが急激に下がってしまうのです。
お父さん・お母さんは、おもちゃの為の予算を既に使い果たしてしまっているので、当然と言えば当然ですね。

仮に子供が親に、「もっとおもちゃ欲しい!」とねだっても、中々買ってはもらえないはず。
なので、これではおもちゃ販売店は困ってしまいます。

ではどうすれば、親がクリスマス後も子供におもちゃを買ってくれるようになるのか?

ついにこのおもちゃ販売店は、ある解決策を見つけたようです。

その内容は、

・まずクリスマス前に、魅力的で子供が欲しがる特定のおもちゃのCMを流します。

・次にそれを見た子供が、親に買ってもらう約束を取り付けます。

・しかしおもちゃ販売店は、そのおもちゃを少ししか卸しません。

・その為、大半の親はそのおもちゃを子供に買ってあげられない。
なので、他のおもちゃを買わざるを得なくなります。

・もちろんおもちゃ販売店は、代用となるおもちゃを沢山卸しておく。

・そしてクリスマス終わり、もう一度その特定のおもちゃのCMを流します。
それを見た子供たちは、前以上にそのおもちゃが欲しくなる。

・子供は親の元へ駆け寄るが、親は首を中々縦には振りません。

・そして子供は言います。
「買ってくれるって約束したじゃん!」と。

さてこうなってしまうと、
大半の親は自分の言葉を裏切りたくないからと、重い足を引きずりながらおもちゃ販売店へと向かってしまうでしょう。

 

つまりおもちゃ販売店は、
クリスマス最中に求めていたおもちゃが売り切れていたときに、親が子供に放つであろう、

「もしも今買えなくても、そのうちきっと買ってあげるから・・・」

という、まさに一貫性を保とうとする傾向を利用しています。




身近にある相手を説得するテクニック「一貫性の法則」

一貫性をもう少し学ぶ

 

 

前の記事で、「人は一貫性を保とうとする傾向がある」とお伝えしました。

 

 

例えば突然知らない人から、

「トイレに行く間、ここにカバンを置いておくので、誰かに盗まれないようにカバンを見ておいてもらえませんか?」
と、頼まれたところをイメージしてみてください。

これを断れば、そのカバンがどうなろうとも当然あなたに責任はありません。
しかし同意をすると、一貫性の原則が働きます。
すなわち、多くの人は警備員のような役目を果たそうとするのです。

もしも対象となっているカバンを、他の誰かが持ち去ろうとしたら追いかけて呼び止め、声をかけます。
また、時には体を張って行く手を遮ったり、力づくで奪い返そうとするかもしれません。

 

では何故、人はこのように一貫性を保とうとしてしまうのかと言うと
もしも言うことと実際の行動が一致していなかったら、
「裏表がある人ではないか?」
「頭がおかしいのではないか?」
などと思われてしまうからです。

 

参考

言ってることと行動が一致している人は、
「人柄が優れていて知的である」と見られるのが普通です。
なので、
一貫性は日常生活の大部分において、重視されるものの1つと言えます。
例えそれが正しくなかったとしても、です。

 

しかし、
一貫性というものには、手に負えない魅力が隠されています。

まず私達人間は、
「考えるのが嫌だ」ではなく、「考えた結果が不快だから」という理由で考えるのを避けることがあります。

その理由は、
物事は大抵の場合、秩序正しく考えていくとどうしても望んでいないような答えがはっきり出てしまうものだからです。
一貫性は、そんな嫌なことを知らずに済む安全な隠れ家を提供してくれます。
そしてその隠れ家に閉じこもっていれば、「理性」という激しい攻撃を受けても傷つかずに済むのです。

ちょっと分かりづらいかと思うので、例を見てみましょう。

 

ある日、あなたの元にこんなチラシが届いたと仮定します。

人生が変わる!超瞑想プラグラム ~高みを目指す~

「新規加入者大募集中!」

このプログラムは、独特の瞑想を行っております。
まずは、心の安らぎから手に入れましょう。
そして有料にはなりますが、その段階になってくるともっと目覚しい能力・・・
・空中浮遊
・壁抜け能力
を身につけることができます!

詳しくは、○月○日 ○○にて説明会を実施致しますので、ぜひご参加ください!

※加入希望者は、説明会後に受け付けます!

 

さて、
この手の勧誘講座に興味があったあなたは、説明会に出席することを決めました。
参加者はあなた以外にもいて、例えば

・俳優の卵で、どうしても俳優で成功をしたいという男性。
演技力を瞑想で高められるかどうか知りたくて参加

・ひどく不眠症に悩んでいる男性。瞑想でリラックスできるようになれば、きっと夜ぐっすり眠れるだろうと思い、参加

・大学受験を控えている学生。
勉強の時間が中々取れないので、睡眠の時間を削ろうと考えている。
それができれば、削った時間を勉強に充てることができる。
なので、瞑想で質の良い睡眠にできないか知りたくて参加

 

説明会を担当している若者二人は、「瞑想により、様々な素晴らしいものが手に入る!」と主張していました。

そして説明会終了後、その若者二人が参加者に質問を求めたときに、それは起きました。

 

参加者の一人の男性がイライラしながら手を挙げました。
すると男性は、今までの二人の若者の説明に対して
矛盾点、どうしてそれが有り得ないのかなどを正確に指摘したのです。
(その男性は、どうやら論理学を専門としている大学の教授とのことでした。)

若者二人は激しく動揺し、弱弱しく反論を試みるも、途中で詰まってしまいました。
しばらくの沈黙の後、ついに若者二人は「あなたの指摘は的確なもの」であると認めました。

 

普通なら説明会は大失敗に終わっているはずです。

がしかし、何と二人の若者に入会費を払おうとする人が列をなしたのです。
不可解なほど、多くの参加者が入会を決めていました。

 

さて、何が起こったのでしょうか?

「参加者が、大学の教授の論理を理解できなかったんでしょ?」
などと考えられるかもしれませんが、何と実際は全く逆だったのです。
参加者はしっかり理解していました。

説明会に参加した男性3人を思い出してみましょう。
彼らはもちろんですが、参加者のほとんどが本当に切実な問題を抱えた人達です。
そしてその問題の解決方法を強く望んでいるはず。

 

要するに・・・

つまり彼らは、
「この瞑想こそ求めていた解答」だと信じたくて仕方がないのです。
ところが、「その解決策の理論はおかしい」という声が上がってしまった。
その論理が彼らの「救い」という考えを打ちのめし、彼らを再び絶望へと突き落とすことは分かりきっているはずです。

彼らは早急に何か手を打たなければならなくなりました・・・。
だって、「もう考えたくない!」のだから。

「急いで隠れなければ!理性から。
・・・そうだ!お金を払って入会してしまおう!

よし!これで決定は下された。
もうこれで何も考える必要はないよね。

「瞑想?あぁ、効果でていると思いますよ?
だって、入会金を払ってしまったのだから・・・」

 

このように
一貫性を保つことって、凄く心地よいものなのです。
色々なやり方を探し求めて、不安になったりするよりははるかにマシでしょう。

だけど、
まるで一貫性にしがみつくようなこの行為は、果たして賢い選択なのでしょうか・・・?

 

一貫性の利用されている例をもう少し見てみたい方は、

一貫性の法則が使われた例




身近にある相手を説得するテクニック「コミットメント・一貫性」

コミットメントと一貫性の法則を学ぶ

 

まずは、あるカップルの話を例に見てみましょう。

コミットメント・一貫性の例

二人は出会った後、しばらくの交際を経て同棲するようになりました。

そして彼女は、彼氏にある不満を持ち始めました。
それは、

・酒量を減らしてほしいこと

・正式に結婚してほしいこと

です。

しかし彼女の言い分を、彼氏は2つとも拒否したそうです。

それをきっかけに、二人は喧嘩ばかりするようになってしまいました。
彼女は彼氏と別れる決心をし、やがて二人は別れました。

次の日、
彼女と昔付き合っていたボーイフレンドから電話がかかってきました。

そして二人は交際を始め、婚約。
結婚式の計画を立て始めました。

ところが結婚式の直前に、先日別れた彼から「もう一度やり直して欲しい」と電話があったのです。

彼女:「あんな生活には戻りたくないわ」

彼氏:「結婚したっていい」

彼女:「それでも、新しい恋人のことが好きだから諦めてよ」

彼氏:「考え直してくれるなら、お酒だってやめるよ」

そしてついに彼女は、「そこまで言うのなら・・・」と、
婚約をキャンセルして、もう一度彼と一緒に暮らす決心をしたのです。

しかしやり直した後も、彼の禁酒は三日坊主で終わってしまいました。
更に挙句の果てには、「結婚はもう少し様子を見てからやるべきだ」と言い出したのです。

普通なら彼女は怒り狂って、すぐにでも別れるかと思いきや・・・
なんと二人はまだ同棲を続けているそうです。
もちろん彼氏は相変わらず大酒飲み。
もちろん結婚の計画もありません。

にも関わらず、
彼女は以前にも増して彼氏に夢中だというのです。
何も満たされていないはずなのに、「以前よりも幸せ」なのだと。

 

 

さて、一体何が起こったのでしょうか?

これが今回ご紹介するコミットメント・一貫性になります。

 

そもそもコミットメントとは

簡単に言えば、
自分が下した重要な決断の正しさを、何が何でも信じようとする現象のことを言います。

 

 

参考!

例えば、
選挙で一票を投じた後、その候補者が何故か特別に感じないでしょうか?
そして事実、その直後から「投票した候補者が勝つ」と強く信じ込んでしまうのです。

その他、この現象は競馬でもよく見られます。
競馬が好きな人の多くは、
馬券を買う前よりも買った後の方が、勝率を高く見積もってしまう傾向があります。
まるで「自分が賭けた馬は特別だ」というかのように。
もちろん競馬場もコースも馬も、馬券を買う前と何も変わっていないのにも関わらずです。

これらの現象は、

「自分がすでにしてしまったことと一貫していたい」

そんな欲求が原因です。

 

つまりある決定をした後、
それと一貫した行動を取るように圧力がかかるのです。
この圧力によって、私たちは自分の決断を正当化しながら行動するようになっていきます。

 

参考!

私がどうしようもない彼を再び選んだ選択は絶対間違っていない・・・

つまり、

「自分は正しい選択をしたんや!」

そう自分に言い聞かせるだけで、本当に自分の決定に対する満足度が上がってしまう。

これが最初の例での現象の正体になります。

 

私たちは実際、
「自分のこれまでの行為や決定と一貫した思考や信念を持ってしまう」とされています。
しかしそれが強すぎてしまうと、時には自分を騙してしまうことさえある。

これと似たような経験が、おそらく皆さん1度はあるはずです・・・。




社会的ルールに騙されない為に・・・。 戦略と対策

ある日、「家庭防火協会」と名乗る男性から電話がかかってきました。

話の内容というのは、
「私たちは家庭でできる防火対策をお伝えしています。
ご自宅に危険箇所がないか無料で点検させて頂き、そして無料で家庭用消火器を差し上げています。
完全無料で行っているのですが、いかがでしょうか?」
というもの。

ちょっと興味があったあなたは、このサービスを受けることにしました。

そして男性が一人、あなたのご自宅にやってきました。
この男性は、
・火災の危険箇所が無いか調べてくれた
・どの程度火災の危険性があるか教えてくれた
・消火器を1つプレゼントしてくれた

そして最後に、
「家庭用火災報知機を設置して頂ければ、いざというときに安心ですね。
それ以外は何も問題ないと思います!
また何かあれば、お気軽にお呼びくださいね!」

と言い残し、男性は去っていきました。

めでたしめでたし。

 

・・・で終われば、
将来もしもその男性が援助を必要していると分かったら、社会的ルールに従い、喜んで何かお返しをしようという気持ちになりますよね。

そうした厚意のやり取りこそが、私たち人間の心をとても温かい気持ちにさせてくれます。
まさしく、返報性のルールの素晴らしい伝統です!

 

だがしかし・・・
ほとんどの場合、こういう話は違う結末を迎えるもの。
そう・・・
検査に来た人が、自社の高価な火災報知機を買わせようと、製品の紹介を始めます。
(それが仕事でしょうから、まぁ仕方はないのですが・・・)

要するに彼らは、
「消火器を無料で渡し、家の点検も無料で行ったのだから、うちの会社に義理を感じてくれるだろう。」
と期待して、その場で購入を促すのです。

もしもわたし達がこのような状況に陥り、
高価な商品を売りつけることが相手の主な目的であると気付いたとき、どう対応したらいいのでしょうか?

ご安心ください。あなたがやることはとても単純です。

 

 

相手の目的に気付いた場合の対応

まず行うのは、状況の再定義です。

おさらいしましょう。
あなたが受け取ったのは、
「消火器」「防火の有益な情報」「危険箇所の点検」という、贈り物ですよね。

ですのでこの「贈り物」を、「販売の手段」と考え直すとどうでしょうか?
販売の手段であるならば、もちろんあなたの選択は自由になります。

商品に魅力を感じたのなら購入すればいい
必要なければ断ればいい

何故なら、
「厚意」はセールスの戦術に対して返すものではないからです。

こう考えれば、少し冷めた気持ちになりませんか?

しかし、まだ気を抜いてはいけません。
「友人の紹介でも・・・」と相手が繰り出してきた場合も、冷静に先ほどと同じ方策を使ってください。

そしてしっかり確認してください。
「相手は本当に、先ほどの「購入してください」という要求を引き下げたのか?」
そうでなければ、それは本当の譲歩とは言いません。

ここまでくれば、あなたはもう不適切な恩義に惑わされることは無くなるはず。

そして、
防火器具や情報という贈り物が、あなたを丸め込む為の道具だと分かったら、その道具を用いて自分の利益にしてもいいとは思いませんか?

「無料で差し上げます」と相手が言うのだから、何でももらっちゃいましょう。
あとは丁寧にお礼を言い、笑顔で優しく玄関の外へお送りするだけ。

 

はい、おしまい!

摂取には摂取で、しっかりお返ししてあげましょう❤




身近にある相手を説得するテクニック「拒否させて譲歩」

※まずは復習

コントラストの原理と返報性のルールの記事を書いておりますので、もし宜しければ一読くださいませ!

コントラストの原理とは

2番目に提示されるものが最初に提示されるものとかなり異なっている場合、それが実際以上に最初のものと異なっていると考えてしまうこと。

コントラストの原理の記事はコチラ

 

返報性のルールとは

相手が自分に何らかの恩恵を施してくれた場合、自分も同じような形で何かお返しをしなくてはならないこと

返報性のルールの記事はコチラ

 

 

拒否させて譲歩を学ぶ

 

相手に「YES」といわせる為の非常に効果的なテクニックとして、最初の譲歩が使えることは前回書きましたが、
他にも「拒否させて譲歩」法というものもあるのでご紹介します。

やり方はとても簡単です。

 

拒否させて譲歩法が使われている例1

「誰かに要求を受けいれさせたい」と考えているとします。

そんなときは、
まずは確実に拒否されるような要求を出します。
そして相手が確実に拒否した後、それよりも小さな(元々自分が受けいれて欲しいと思っていた)要求を出せばいいのです。

すると相手は、2番目の要求を”自分に対する譲歩”だと考えてしまう為、自分の要求を受けいれてくれる確率はぐっと上がってしまうのです。

 

拒否させて譲歩法が使われている例2

あなたが、「普段はしつこいセールスの勧誘の人に、知り合いを晒すような真似は私はしない!」とどれだけ思っていたとしても、
例えば相手からの「買って欲しい!」という要求を断った後に、「それなら誰か紹介してくれませんか?」という譲歩の形で言われると、

ついその通りにしてしまうものなのです。

 

さて、なぜ「拒否したら譲歩」法が成功してしまうと言われているのか?
勘の良い方はお気づきでしょう。

そう、コントラストの原理も働いているからです。
(先に高価なものを購入していると、それよりも安い価格の商品がより一層安く見えてしまう現象のことでした)

これと同じように、
大きな要求から小さな要求へ引き下げるやり方であっても、

先に出した大きな要求との間にコントラストの原理が働いて、後から出す要求を非常に小さいと感じさせることができます。

 

参考

例えば、「5万円貸して欲しい」と友達に要求したいときは・・・。
「10万円貸してくれないかな?」と要求すればいいのです。
これにより、目的の5万円を実際よりもささやかな金額に思わせることができます。

つまり、
「返報性のルール(貸す相手が感じる)」と、「コントラストの原理」
この2つが「拒否したら譲歩」法に統合されると、本当に驚くべき効果をもたらしてしまうのです。

 

 

このように「拒否したら譲歩」法は、
自分の要求を通そうとする人が意図的に使うことも可能になってくるので、
「どうして相手の要求を聞いてしまったのか?」という理由を普段から考えない方は、特に注意する必要も出てくるかもしれませんね。

 

 

「初めにプレゼント攻撃をしたり、譲歩をしたりすることによって、私たちは強力な言葉の武器を得ることができる」ことは分かりました。

 

とはいえ、「相手を丸め込んでやろう」

そんな悪企みする社会的ルールの使い手が目の前に現れたとき、私たちはどうしようもないのでしょうか?

 

参考

対処法の1つとして考えられるのは、

おそらくルールを始動させないようにすること。

始動さえしなければ、そもそもこのルールと直面しなくて済むでしょうから。

だったら、「最初の厚意や譲歩は拒絶すればいい」と普通は考えてしまうものですよね。

そうすれば、おそらく相手の策略から逃れられる!

・・・かと思いきや、そんなことはおそらく無理です。

「相手からの厚意や犠牲の申し出は、絶対断ろう!」と、どれだけ固い決心をしたとしても、実行するのはそう簡単なものではないでしょう。

何故ならば相手から放たれた申し出が、

「本心であるのか?」

「自分を食い物にしようと企んでいるのか?」

それを見分けるのはすごく難しいことだから。

 

とは言え、中途半端に疑心暗鬼でいると、

「社会的ルールを悪用しよう」などと微塵と思っていない人の申し出を、素直に受けられなくなることにもなりかねません。

 

例えば、こんな話があります。

ある小学生の女の子が学校の行事で、町行く人に一輪の花を渡すことになりました。

ところが、女の子が花を渡そうとした最初の男性は、怒った口調で「いらないよ」と言いました。

困惑した女の子でしたが、彼女はもう一度男性に花を差し出します。

すると男性は、「お返しに何をさせるつもりだい?」と言いました。

それに対して女の子は、「何もいらないです。これはただのプレゼントなんです」と答えましたが、男性は疑いの気持ちを隠さずに女の子を睨み付け、

「君の魂胆なんてお見通しだよ!」

と言い残し、花を受け取らずに去っていったのです。

この女の子が受けた心の傷は計り知れず。

女の子はその後、誰にも花を渡せなくなってしまったそうです・・・。

 

この場合、一体誰が悪いのでしょうか?

その心ない男性?それとも、「贈り物は絶対拒否すべきだ」と、思い込ませた”誰か”?

何にせよ、社会的ルールを悪用するのではなく、私たちは本当に寛大な多くの人々に常に出会います。

そんな人々に対して拒否ばかりしていると、相手はきっと屈辱を感じてしまうはずです。

最悪人間同士のトラブルに発展してしまうことも。

 

このことから、

「厚意は絶対断ってやろう!」という対処法はオススメできません。

じゃあどうすればいいのか?

 

こう考えてみてください

「先々自分は沢山の相手に何かのお返しをすることになる」

これを心に留めておき、人から親切にされたらまずはありがたく頂戴しておけばいい。

そしてもしも相手の最初の申し出が、「こちらを丸め込む為の策略」だと判断したときに、それ相応の対応をすればいいのです。

これを徹底しておけば、

いざという場合に相手はもはや社会的ルールを味方にすることができなくなります。

誤解しないようにしましょう。

あくまでも、「厚意に厚意を返す」のであって、

策略には何も返さなくていいのです。

 

 

さて次は、

実際にありそうな例を見て、もう少し具体的に対策を考えていきましょう。

気になる方は、

社会的ルールに騙されない為に

をごらんください。




身近にある相手を説得するテクニック 「譲歩」

譲歩を学ぶ

 

 

今回は「譲歩」という方法をご紹介します。

中々目立ちはしないものの、状況次第ではこちらも非常に強力な武器となり得るものになります。

 

では、この「譲歩」とは一体どういうものなのでしょうか?
その前に、まずは例を挙げていきましょう。

 

譲歩が使われた例

クリスマスの日、あなたは道を歩いています。
すると正面から少年が近づいてきました。

自己紹介の後、少年はあなたにこう言います。
「明日の晩に、クリスマス恒例のイベントが開かれるのですが、僕はそのチケットを売っています。
一人1枚、1500円なのですが、できたら何枚か買って頂けないでしょうか?」

明日は特に予定はないものの、興味が無かったあなたは断りました。
少年は「分かりました」と言った後、こう続けました。

「ではチケットが駄目なら、ミニクリスマスケーキはどうでしょうか?1つたったの200円です。」

そして少年は去っていきました。
ケーキを2つ手にしたあなたを残して・・・。

 

ではここで考えてみましょう。

あなたは特別甘いものが好きなワケではありません。
そして変な浪費をしないように心がけているつもりです。
にも関わらず、何故買ってしまったのでしょうか?

 

くどいかもしれませんが、受けた親切に対してお返しをする義務が生じるのは

返報性のルール

の際に述べたとおりです。

 

つまり譲歩というのは

受けた親切に対して親切を返す義務が発生してしまうと同様に、
自分に譲歩してくれた相手に対しても譲歩を返す義務も生じてしまうことを言います。

 

上で述べた例で言えば、
少年は「1枚1500円のチケットを買って欲しい」という大きな要求少年が引き下げたことに反応してしまい、「今度は自分が譲歩しなければ」と思ってしまったのです。

本当はどちらも買うつもりは無かったはずです。
なのに、拒否から承諾へと行動は変化してしまった・・・。
「甘いものが好きではない」というあなたの事情など、問題にはならないのです。

 

どうして譲歩には譲歩で返そうとしてしまうのか?

その理由は、
人間の中に譲歩をしてしまう傾向があれば、それが社会の利益になるからです。

そもそも私たちは、他者には受け入れてもらえないような要求を少なからず初めはもっているものです。
そしてその要求を自分の中で少しずつ調整していきながら、社会の利益に協力できるようにする必要があるのです。

「要求」というのはほとんどの場合、妥協することによって達成されます。
その為、
譲歩することは時には重要な手続きの1つであると言えるんですね。

 

ではまとめましょう。

譲歩のまとめ

  • 譲歩とは、「相手からの譲歩に対して譲歩を返す」というもの。
  • 「相手が譲歩してくれたら、自分も譲歩しなければならない。」という義務が生じているお陰で、人は自由に最初の譲歩ができる。もしもその義務が無かったとしたら、誰も最初に譲歩しようなどとは思わないだろう。

 

そう考えると、譲歩は私達の日常には必要不可欠なものだと分かりますね。

何の見返りも期待できないのにも関わらず、何かを手放すような真似をしていたら・・・
私たちは損失だらけですし。




身近にある相手を説得するテクニック 「返報性のルール」

 

 

返報性のルールを学ぶ

 

返報性のルールとは

他人が自分に何らかの恩恵を施してくれた際は、自分も何か似たような形でそのお返しをしなければならないことを言います。

 

例えば・・・

あまり親しくない人から誕生日プレゼントをもらったところを想像してみてください。
その場合、「今度は自分がその人に何かプレゼントをしなくては・・・」という衝動に駆られてしまうのです。
当然相手の誕生日を知らなかった場合でも、その人の誕生日を調べて覚えておかなければならなくなるでしょう。

 

ですので返報性のルールは、
私たちの身の回りにある、簡単で強力な武器の1つに数えられます。

しかし、
こうした恩義の感覚を伴う返報性のルールは社会に広く行き渡っており、
そして「人間社会を生き抜くうえで必要不可欠である」と言われているほどです。

 

返報性のルールの誕生するまで・・・

「受けた恩義には、将来必ず報いなければならない」
返報性のルールはそんな義務感から生まれます。

ただし、その期間は永遠ではありません。
恩義が比較的小さいものである場合、それは時間の経過と共に報恩の義務は薄れていきます。
しかし贈り物が大変素晴らしく、記憶に残るようなものであった場合、義務は長い間生き続けてしまうでしょう。

 

例えば・・・

普段は不快な印象をもっているセールス勧誘員、
何を考えているか分からない知り合い、
評判が良くない組織団体の人・・・。

そんな彼らですが、もしも彼らが要求を出す前に、
“アメを渡したり”、”子供にぬいぐるみを渡したり”といった、ちょっとした親切を彼らからされただけで、要求を引き受けてしまう確率がぐっと上がってしまうのです。

つまり、
お客さんにちょっとしたプレゼントをするだけで、
売れる見込みのなかった商品やサービスを彼らは売ることができるというワケなんです。

 

それでも私たち人間は、「返報性のルールに従って行動するように」と教えられてきています。
そしてもしもこのルールを守らなかった場合、社会的制裁を受けることも私たちは知っているはず。

 

社会的制裁とは・・・

他人から取れるだけ取ってもなおそのお返しをしようとしなければ、あなたに対してほとんどの人が疑いの目を向けることになります。

そんな、「あなたはたかり屋だ」とか「この恩知らず!」というレッテルを貼られるのだけは避けなければなりません。
だから私たちは努力をするのでしょう。

そして時には不公平な要求であっても、それに甘んじてしまうのが私達と言えます。

 

 

その為、返報性のルールを用いると、
「普通」は断ってしまいそうな要求でも、
「相手に借りがある」という恩義は、受け入れさせようとする。
ここの普通というものを軽く圧倒してしまうのです。

 

参考

なので私達は、

「相手に借りがある」という気持ちがあると、普通は断るような要求でさえ、簡単に受け入れてしまうようになってしまいます。

 

ただ厄介なのは、そうした努力の過程の中で、
「恩義を感じさせることによって悪企みをしよう」と考えている相手に、まんまと騙されてしまうこと。

それだけ、返報性のルールの威力は恐ろしいものだと分かります。

 

ではここで、返報性のルールを利用した例を見てみましょう。

 

返報性のルールが利用された例1

とある団体が、町行く通行人から寄付を求めました。
そこで、まず彼らは何も知らない通行人に花を渡すようにしたのです。
(最も安上がりで効果的だったのが花だったとのこと)

突然花を手に押し付けられたり、強引に上着とかに花をピンで留められたり・・・。
そして「こんな花はいりません」と通行人がどれだけ訴えても、
「いえいえ。これは私たちからのプレゼントですから」と寄付団体は言い、返されることを拒むのです。

このように彼らは、返報性のルールを無理やり持ち込み、その上で寄付を求めます。

「相手が施しを求める前に施しをしてしまう」
この戦略は恐ろしいほど成功したと言われています。

しかし、返報性のルールの効力は徐々に失われていくことになりました。
そう、この話には続きがあるのです。
それは、
一度その手口に引っかかった人々が、その寄付団体の服をまとった募金勧誘者を警戒するように呼びかけたのです。

つまり、人々は「プレゼント攻撃」を撃退する準備を整えました。

結局その団体は厳しい財政難に陥り、
その結果、経済的な理由から閉鎖したとのことです。

 

返報性のルールが利用された例2

昔とある地域の宗教団体のリーダーだった人が、地域に住む住民に集団自殺を呼びかけました。
それに応え、ほとんどの人々が毒を飲んで死んでしまったのです。

しかし、一人の住民だけは違いました。
その住民はリーダーの命令を拒み、その地域から逃げ出したのです。

後にその住民が話すのは、
「私があのとき冷静に判断できたのは、どんなに困っているときでもリーダーからの恩恵を受けることを拒否していたから」だと語っています。

その団体のリーダーは、その住民にある聖書を渡していました。
その聖書にはこう書かれていたそうです。

「賄賂は決して受け取ってはならない。
賄賂は目のあいている者の目を見えなくし、本来は正しい人の言い分を歪めてしまうのだ」
と。
皮肉な事に、この住民はこの教えを守っていたのです。

彼は言います。
「1度でも彼から恩恵を受けてしまったら、完全に服従せざるを得なくなる。」

だから、彼に借りを作りたくはなかったのだと。

 

いかがでしょうか?
では最後にまとめです。

返報性のルールのまとめ

  • 返報性のルールとは、「相手がしてくれた親切を相手に返すべきだ」というもの。
  • 例え受け取ったものが自分が頼んだものでなくても、私たちはお返しの義務を感じてしまう。それが余計なお世話であったとしても・・・。