お世辞だとしても、言われると嬉しい。・・・から危ない!

Lesson1

自分を「好きです」と言った相手は、

自分にとって“いい人”なのか?

 

例えば、
一度しか会ったことのないようなセールスマンから、
「以前お会いし、○○さんの○○が好きだと感じました」という内容の挨拶状が届いたとしましょう。

真心が一切感じられない挨拶状。他の人にも送っていることは見え見えです。

これと似たようなものを、ほとんどの人は見たことがあるはず。

 

そんな、「私はあなたに好意を抱いています(棒)」をただ伝えているだけの挨拶状に、果たして効果があるのでしょうか?

 

それがあるんです。

 

押さえておこう

恋愛を始め、こういった「○○は自分のことを好きだ」という情報は、特に私たちに大きな影響を及ぼしてきます。

人間は「好き」と言われたら、そのお返しとして好意を生み出す

そんな傾向をもっているのです。

 

 

ちょっと何かをされただけで、
誰にでもすぐに「好意」を抱いてしまうような人は、優しい顔をした悪魔の標的になってしまうので注意

また人間は、自分に似ている人を見たときも好意を抱きやすい傾向もある

因みに似ている人というのは、

考え方・性格・経歴・生活習慣などなど・・・どれにおいても当てはまる。

このことから導き出せるのは、

相手に自分の言うことを聞かせたいのなら「私はあなたとこんな所が似ている」と見せかけて、好意をもたせるようにすればいいのでは?

ということ。

 

例えばあなたがセールスマンならば、
訪問した家の玄関にもしもゴルフクラブがあった場合には、「ゴルフされるんですね!実は私も今週末はゴルフに出かけるんですよ!」と話せばいい。

「いやいや、俺はこの程度のセールストークには騙されませんよ」と思いがちですよね?
しかし一見すればどうということのない共通点でも、それらは自身の今後の様々な決定に影響を及ぼしてくることは間違いないのです。

 

Lesson1のまとめ

①わずかな共通点があるだけでも、相手が自分の望んでいる反応をさせる効果がある。
例えそれが単にでっちあげられたものだろうと、見せかけだろうと・・・。

②「彼は悪い人ではないはず。何故なら以前あの人は私のことを『好き』だと言っていたから・・・。

たったこれだけの情報で安心してしまうのはやめましょう。

 

 

Lesson2

人はお世辞に弱く、馴染みのあるものに惹かれる

 

挨拶状を送ってくるセールスマンの例でいけば、

ほとんどの消費者は、「セールスの戦略として挨拶状を送っているだけだろう」と気付けているはず。
なのに、それでもその戦略に心が動かされる・・・。

つまり・・・

人間はとにかく、お世辞に弱いのだ・・・

ですので、

お世辞を言いながら親しげに接してくるあの人は、もしかしたら自分から何かを引き出そうとしている・・・?

そういう思考にまでは至らないワケです。

 

 

もちろん事前に、「相手は私を操作しようとしている・・・!」という確信をもっているのならば、まず乗せられたりすることはないでしょう。

それでも人間は、
他者からの称賛を信じて、それを言ってくる人を好む傾向があります。
(ここでいう傾向というのは、お世辞に対して自動的に肯定的な反応を示してしまうことを指します。)

勘違いしない!

そう考えてみると、

「あなたが好きです」の挨拶状を色々な人に送りつけるというのは、それほど馬鹿げていることだとは思えなくなります。

恐ろしい話です。

 

また私たちは、馴染みのあるものが大好き。

こんな経験あるよね

例えば、選挙で誰かに投票をしに行った時のことを思い出してみてください。

僕もそうですが、こういうイベントに疎い多くの人は
「この人どこかで見たな」
「名前聞いたことあるな」
という理由だけで誰に票を入れるか決めているはず。
しかも更に、それに対しては多くの人がほとんど無意識です。

 

ここをチェック

要するに、
過去に接したことがあるものに好感を抱きやすい

ということです。

 

ただし、
馴染みをもつようになる=好意が高まるということではありません。

失望、対立、競争・・・。
そんな不快感の状況の下で繰り返し人や物に接触してしまうと、好意はどんどん下がっていくでしょう。

 

例えば、
数学の授業中に先生が、
「この問題分かる人!」といって生徒に質問するあの場面をイメージしてみましょう。
おそらく多くの人が経験したことがあると思います。

この時先生が、自分が嫌っているクラスメイトを当てましたと。
そしたらこう思うはず・・・「間違えて恥をかきやがれ!」と。

にも関わらずその生徒が正解したら、あなたがその答えを知っていようが知っていまいが関係なく、その人を妬んだり不愉快に思ったりするはずです。

そうなってしまうと、
当てられなかった生徒は、嫌いなクラスメートのことを「ただの目立ちたがり屋」とか言ったり、
落ちこぼれているクラスメートのことを「馬鹿だなぁ」と呼んで侮辱しだす。

競争に満ちている環境というのは、こういうことで溢れていますよね。

 

 

「話せば分かり合えるんや!」
・・・といって、仲の悪い人たちを一緒に行動させようと対策をとる人が居ます。

しかし一緒にいる時間を仮に増やしたとしても、
お互いを好きになったり、理解しあうようになったりする保証はどこにもないんですよね。

結局のところ、このアプローチが実を結ぶだなんて幻想に過ぎないことが多い。

根本的に間違っているのです。

 

Lesson2のまとめ

①「好き」と言われたからと言って、その相手とこれから上手く関係を築いていけるかはまた別問題である。

本当にあなたと仲良くなりたいから言っているのか、それとも別の意図があるのか・・・?

②長い時間一緒に過ごせば仲良くなれるとは決して思わないこと。

相手の価値観を認められないままだと、何をやっても好感度は上がらない




都会の人は冷たいのか? その疑問を解き明かす

Lesson1

私たちは不確かさを解消するために、他人の反応を伺う生き物。

この傾向が、集合的無知を引き起こす

 

他人の反応を伺うについては、他人を見て行動する私達で詳しく書いておりますので、ご覧下さい。

 

 

今回はそれらの人の傾向を踏まえて、『集合的無知』について学んでいきましょう。

 

集合的無知とは、現在おかれている状況が不確実で曖昧で、自分も周りも良く分からないのなら、誰一人として動こうとはしない・・・

そういった現象のことを言います。

 

ココがポイント

よく分からない状況におかれているときは、変に動こうとは思いませんよね。

つまりそれは、自分だけではないということにもなります。

自分は周りの様子を伺い、周りもあなたの様子を伺っているんです

そういった当たり前の事実を、みんなよく忘れてしまいます。

 

 

例を挙げてみましょう。

 

とある国で殺人事件が起きました。

そこに住んでいる若い女性が深夜の仕事から帰宅中、路上で暴漢に襲われ殺害されてしまった事件です。

殺人事件は決して見過ごしていいものではありません。
しかし、その場所は大都市ということもあり、記事の一番下に小さく載せられた程度にしか報じられなかったそうです。

「よくある話だ、気をつけましょう・・・」と、この事件はすぐに儚く消え去ってしまうかのように思えました。

が、この事件を捜査していくにつれて、驚愕の事実が浮かび上がりました。

なんと事件は、大勢の人の前で起きていたのです。

路上で逃げ惑う女性を大勢の隣人達は、建物の窓際という安全なところから見ているだけで、警察に電話をかけることすらしなかったのです。

殺人が行われている間、警察に通報した人は誰も居なかった。
その後初めて、ようやく目撃者の1人が通報した・・・。

記事の見出しには、「善良な市民」である人々が何故警察に通報しなかったのか?」と大きく書かれ、この話の詳細を知った人のほとんどが衝撃と困惑を覚えました。
そして事件を目撃していた人々でさえ、困惑してしまっていました。

「恐ろしかったから」
「巻き込まれたくなかった」
という人も居ましたが、理由としては弱すぎますし説得力がありません。

何故なら匿名で警察に通報したりすれば、女性を助けられたかもしれないからです。

彼らが動かなかったのは、そういうことではありません。
本人にすら理解できない何かが、そこで起こっていたことになります・・・

 

 

この理由を、二人の心理学者が説明してくれています。

 

まずおそらく、この事件から報じられるのは、
「目撃者が多数いたのに、誰も行動しなかった」でしょう。

しかし、心理学者は
「多くの目撃者がいたので、誰も助けなかった」と考えています。

 

もっと伝えたい!

こう考えた理由は2つあります。

助けられそうな人が他に何人か居れば、ひとりひとりの個人的な責任は少なくなるから。
「誰かが助けるだろう」
「もう助けてしまっただろう」
と、みんなが考えてしまうので結局誰も助けないという結果に陥ってしまう。

社会的証明の原理である、集合的無知の効果が含まれているから。
多くの場合、緊急事態というのは必ずしも「これは緊急事態だ!」だとすぐにはっきりと分かるワケではないはずです。

例えば、

道に倒れている人が居たら、
「心臓発作で倒れているのか?」
「酔っ払って寝ているだけなのか?」
かもしれません。

隣の部屋が騒がしいのは、
「警察を呼ばなくてはならないぐらいの暴行が行われているのか?」
「カップルが痴話喧嘩しているだけなのか?」
かもしれない

痴話喧嘩だとしたら、あいだに割って入るべきではないですよね。かえって嫌な顔をされるでしょう。

 

このように、

不確実さがあるときには周囲を見渡して他の人々の行動の中に手がかりを求めるのが、むしろ自然な傾向です。

 

そしてここの落とし穴こそが、状況はみんな同じであるということです。

 

ココに注意

私たちは、落ち着いて取り乱さない人間であると人から見られたいと思っています。
なので、全員が平然を装って何気なく周囲をチラ見しがちです。
従って、人々の目に入るのは、
少しも慌てず、アクションを起こさないでいる人々の姿になってしまう・・・。

その結果、社会的証明の原理により
「今起きている出来事は緊急事態ではない」と解釈されてしまうのです。
これこそがまさに、集合的無知の状態です。

 

LESSON2

緊急事態が起こったとき、
「周りに人が多いと助かりやすい」と考えるのは基本的には誤り。

むしろ、たった一人の人が居合わせている緊急事態の方が、生き残る可能性が高いことが多い。

 

 

よく、「都会の人は冷たい」と言う人が居ますが、
集合的無知の存在を考えると、その主張はあまり正確とは言えません。

彼らが中々助けてくれない要因は、何より他の傍観者の存在にあるのだから。

 

ココがポイント

居合わせた人が、
「これは緊急を要する事態だ!」と確信をもってくれさえすれば、助けてくれないことはほぼないはずなんです。
そして緊急事態時に助けてくれる人は、多くの場合とても頼もしく温かい行動をしてくれます。

目撃者が「これは助けた方がいいのか?」などと状況に確信がもてない場合、目撃者は少なければ少ないほど良いのです。

周りに人が居れば、何もしない人が多くなる。
且つ、その周りに居る人の全員が初対面なら、尚更この傾向は強くなります。

 

では何故、
大都市であればあるほど、私たちは助けようとしなくなってしまうのでしょうか?
そのポイントは3つあります。

本当に都会の人は冷たいのか?

  • 都市の方が騒がしい為、注意が散漫になりやすい。
    ですのでこのような場所では、自分が遭遇した出来事をしっかり確かめるのはかなり難しい。
  • 都市環境に居る場合、緊急かもしれない状況を目撃したとき、周りにはほぼ人がいる。
  • 周りを見渡せば人だらけ。そして都市は小さな町に住むのと比べて、周りが知り合いである可能性はかなり低い。

 

状況が分からずに混乱しやすく、
人が密集しており、
周りが知らない人だと・・・

状況が緊急事態の場合は、助けられる可能性が低くなる・・・

ということになります。

 

 

ですので、しっかりと覚えておいてください。

 

ココに注意

人は集団になると助けようとしなくなる。
しかし、それは決して彼らが不親切だからではない。
「緊急事態が本当に起こっているのか?」
「行動する責任があるのか?」
ただみんな、そういう確信がもてないだけ。

 

今回一番伝えたかったこと

「ん?これは手を貸さなきゃまずい!」

そう確信できれば、多くの人はすぐに反応して助けてくれる!!

 

 

 

○最後に・・・

もし私達が何らかの緊急事態に陥ってしまった時

集合的無知の犠牲者にならない為に

 

 

まずは集合的無知の問題点を今一度洗い出さなければなりません。

とにかく問題なのは、状況が不確実であるという状態を作ってしまうことです。
なので、不確実性をいかに減らすかが重要になってくるはずです。

 

 

例えば・・・

 

あなたは夏の午後、好きなアーティストのライブに出かけました。
ライブが終わり、あなたと人々は帰り始めます。

その途中、あなたは急にひどい頭痛に襲われました。
「すぐにおさまるだろう」と、また歩き出したものの・・・
今度は視界がぼやけたり、全身に嫌な痺れを感じるようにもなってしまった。

「休まなければ」と、近くの木によりかかって座り込んだあなた。
座っても体調は良くならないし、ついには立ち上がることもできなくなってしまいました。

表情がおかしく、変な場所で座り込んでいるあなたに気付く人も居ますが、誰も何の関心も示してくれません。
立ち止まった人は居るものの、少し周囲の人の反応を確かめた後は何事も無かったかのように通り過ぎていきます・・・。

 

さてこういう緊急事態に陥ってしまったとき、あなたには一体何ができるでしょうか?
具合は悪くなる一方ですので、ぐずぐずしてはいられません。
助けを呼ぼうとする前に意識を失ってしまったら、更に助けが呼ばれなくなってしまうかもしれないのだから。

仮に呻いたり、叫んだりしても効果は薄いでしょう。
周りの人を緊急事態だと確信させるには、これだけだとまだ情報が足りない。
ただ注意を引いたり、助けが必要だと「気付かせる」だけでは不十分。

この場合、一番効率的で信頼できる方法は1つです。

人々の中から1人を選び、その人だけを見つめて話しかけて、まっすぐ指をさしてあげればいい。
他の人は無視です。

「はい、○○の服を着たあなたです。お願いします、気分が悪いので助けてください!」と。

たったその一言だけで、選ばれた人を「救援者」の役割を担わせることが可能になります。
助ける責任は、他の誰でもない。「自分自身なのだ」と。

もちろん必要なら、どんどん声をかけて「救援者」を増やしていくといいでしょう。
助けは伝染してくれますから、あとは他の人に任せていればなんとかなるはずです。

 

 

犠牲者になりたくないのなら、助けの必要性は、しっかり正確に伝えましょう
居合わせている人々に自分で結論を出させてはならないのです。

恥ずかしいとか言ってられません。
失敗すれば命を失ってしまうかもしれないから・・・!!

ココがポイント

本来自分自身がやらないといけないことは、

「周りがどういう行動をしているか?」ではなく、
状況をしっかり見極めることなはず。

 




騙されないで!みんながやっているから正しい訳ではない

テレビ番組でよく使われている、「笑い声」から学べること

 

どこが面白いのか分からないところで「笑い声」が使われていたり、

頻繁に笑い声が使われていると、多くの場合不快感をもってしまいます。

 

にも関わらず、何故「笑い声」は頻繁に使われているのでしょうか?

 

 

しかしその理由を、多くの人はなんとなく分かっているはずです。

 

笑い所で「笑い声」を使うと・・・

①観客の笑う回数が増えたり、笑っている時間が長くなったりする。

②ネタは一層おもしろくなり、つまらないジョークのときこそ「笑い声」は特に有効である

こう考えると、特にお笑い番組で利用されているのも筋が通っていると言えますね。

 

だけど、ここでまた更に疑問が浮かびます。

私たちは、
本物ではない録音された笑いであると気付いています。
人工的に作られたものであるとはっきり知っています。

なのにどうして、「笑い声」は私達にこうも影響を与えてしまうのでしょうか?

 

 

それを解き明かすカギとなるのが・・・

『社会的証明の原理』の存在です。

 

社会的証明の原理とは、
特定の状況下において、ある行動を遂行する人が多ければ多いほど、「これは正しい行動なのだ」と判断してしまうことを言います。
他のみんながやっているならば、「正しい行動なんだ」というものは普通はうまく機能してくれます。
だってその方が、それと反対の行動をとるよりも間違いを犯すことが比較的少ないからです。
大抵の場合、それを多くの人が行っているのならば、それは正しい行動とされますよね。

 

 

だがしかし・・・

社会的証明の原理、つまり周りと同じ行動をしていれば、行動の仕方を手っ取り早く決められて楽。

しかし、これに頼りすぎると痛い目をみます。

 

さきほどのテレビで使われている笑い声で言えば、
面白いかつまらないかどうかを他人の笑い声から判断することが愚かということではありません。

問題なのは、

偽者であると分かっているのに、それがまるで本物の笑いであるかのように反応してしまうことです

 

ココを抑える!

「みんながやっているから、この行為は正しい」と仮定してしまう私たちの傾向は、色々な場面で悪用されてしまうことを覚えておきましょう!

 

いくつか例を見てみましょう。

 

例1

募金活動の場合。
前もって募金箱にお金を入れておけば、募金してくれる頻度も高まります。
もしくは、街中にサクラを仕込んでおいて、打ち合わせどおり決められた時間に前に進み出て証言と募金を行わせます。

 

例2

広告でよく見かけると思いますが、
「この製品は、今後かなり伸びていきます!」
「一番売れています!」
といったことを強調しているものが多いですよね。
だってそうすれば、製品の良さを直接分からせる必要などないからです。

そして既に購入をした方々の氏名を読み上げたりすれば、
「御覧なさい!みんな購入しています!これを買うことは正しいことに決まっているんです!」
という、非常に効果的なメッセージを未購入者に与えることもできます。

 

例3

お店の経営者の人の中には、まだお客さんを入れる余地があるのにも関わらず、入場制限をして「あえて」外に行列を作らせて、お店の質の高さを示そうとしたりします。

 

 

上でご紹介した例はどれも、目に見える社会的証明をでっちあげています。

 

 

今回のまとめ

  • 「多くの人がそう考えている」
    たったこれだけのことなのに、それは十分な証拠であると思わせることが可能
  • 「自分はこれからどうしていくべきなのか?」の問いに対して、自分で決めれる人はほとんどいない。
    大抵の人は、他人を真似て決める人
  • 結局私たちは、他人の行動には敵わない

 




「分かりました、やります。」と言って、結局やれずに気まずい思いをしたことはありませんか?

 

※まずは復習

本記事をお読みになられる前に、一度コミットメントについて知っておきましょう。

コミットメントをざっくり言うと

自分が下した決断を、「間違っていないはずだ」と正当化し、その決断に沿った行動をしてしまうこと

※コミットメントの記事はコチラ

 

 

「今自分がやっていることは正しいのだ」
こう思うようになると、以前には気付かなかったような事実に注目するようになっていきます。

 

 

例えば、以前はボランティアなんか何の興味も無かったはずなのに、一度署名をしてしまった今ではしっかり耳に入ってくるし、説得力も感じやすくなってしまう。

といった具合に、

一貫性を保とうとする欲求は、
「公共精神に溢れた行動をとることが正しい選択だったのだ」と・・・
自身に確信させようとするんですね

 

以上のことを踏まえて、
今回は自己補強のコミットメントについて学んでいきます。

自己補強のコミットメントとは、
新たに形成された自己イメージを、理由を付け加えながら成長させていくことを言います。

 

 

ここに注意

しかし自己補強のコミットメントも、他人を食い物にしようとする人たちがよく使い、私達に誘いをかけてくることがあります。

 

 

参考として、自己補強のコミットメントが使われている例をご紹介しておりますので、興味があれば是非どうぞ。

 

 

 

 

他にも、紹介した例と似たような手口はたくさんあるとされていますが、基本的な手口はどれも同じです。

ポイント

まず相手にとって有利な条件を提示し、
喜んで買うという決定を誘い出す。
そして決定が下されて、契約が完了するまでの間に、
元々あった有利な購買条件を巧みに取り除いていく。

 

 

ただこれだけ見てみると、「いやいや。こんな手口に騙される人おらんやろ!」と考えてしまいます。

 

しかし、これが上手くいくんです。

参考

その理由として考えられるのは、
「自分が望んでいた金額よりも遥かに安い!」と思ってしまうと、まず幸福感に襲われます。
ですので、「ちょっとの損失なんて取るに足らないものだ」大半の方は思ってしまうものなんです。

 

 

一貫性というのは基本的には良いものではあります。
ただし、これまでご紹介してきたように、

よく考えもせずにただ自動的に一貫性を保とうとするのは大変危険です。

 

 

さもないと、
この人間の傾向を利用して儲けようと企む輩の標的に簡単に選ばれてしまいます。
かといって、一貫性の行動を全て排除しようと思ってもいけません。

一貫性は、あまり深く考えずに適切な行動をとらせてくれるもの。
ですので、新しい行動のたびにいちいち立ち止まりながら、その利点を考えていたら時間がいくらあっても足りません。

 

 

そんな板ばさみ状態から抜け出すにはやはり、
「不利な選択を導く一貫性とはどういうものなのか?」
・・・これを知っておく必要があります。

 

その手がかりとして一番分かりやすいのは、
「やりたくない」と分かっていることをやらされそうになっていると気が付いたとき、私達に届けられるあのサインです。

そう、胃からの明確なメッセージです。

本当はやりたくもないことに対して同意をした瞬間、まるで胃がムカムカするような感じがしたことはありませんか?

それもそのはず。
それは、私たちの脳に向けられた「おい!ちょっとおかしいんじゃないか?」というメッセージなのだから。

とはいっても、
大抵そういう場合、逃げ道がないことがほとんどでしょう。

自身を窮地に追い込んでいっているのは、大抵の場合は自分自身の発言に原因があります。
例えば、誰かに何か言われる度に「はい、分かりました」(適当)と、ただ反応しただけに過ぎない返事をするなど。

この場合に、

「何かおかしい」と感じて申し出をただ断ってしまうものなら、ただの嘘つきになります。

他にも、

「すみません、実は用事があったのを思い出して・・・」とか言うと、相手から「適当な奴なんだな」とか思われてしまう。

 

まとめ

みーんな、おかしいことには気付いてはいるはず。
要するに、

自分が既に言ってしまった事との一貫性を保とうとする欲求に、私たちはいつも陥れられてしまっている。

ということですね。

 

 

参考

では、心からの”あの”メッセージとはどういうものなのでしょうか?

もう少し知っておきたいと思われた方は、

自身の素直な感情に気付くコツ

をご覧になられてください。

 

 

「本当は欲しくもないものに、お金を使うのは馬鹿げている。
私の胃が、あなたの提案には用が無いと言っている。
だからごめんね、その要求は聞けません。」

これを伝えてあげれば、普通なら相手はちゃんと分かってくれるはずなんです
相手が本当にあなたを人間として心の底から尊重しているのなら・・・