誰かをコントロールするのは簡単。しかしそれを使いこなせてない私達。

 

 

「人に魔法をかけて、誰かの行動をコントロールしてみたい。ぐへへ
そう思ったことはありませんか?

そんなあなたに朗報です。
実は私達って、常に誰かの行動や態度をコントロールすることができています。

 

そんなはずはないって?
ふふん、気付かないのも当然と言えば当然。

 

 

私達はしばしばこの力を使い、自分の首をしめるようなことをしています。誰かに嫌なことをされるように自分から仕向けて、わざわざ不快な気分にさせられているんです。
この不快な気分のせいで、私達はコントロールしていることに気付いていないのです。

 

全ての人々は、今日もどこかで相手の行動と態度をコントロールしています。
しかしこれを全く有効活用できていません。
悪用してしまっていることがほとんどです。

 

例えば、あなたがある特定の人から理不尽に攻撃されているとしましょう。
その原因というのがまさしく、攻撃されるようにあなた自身が相手をコントロールしたに過ぎないのです。
「攻撃して欲しい」と頼んだのに、いざ攻撃されて傷つくとは一体何事でしょうか?

 

どのように無意識に相手をコントロールしているのか?

 

 

全ての人々は、自分に用意された舞台で特定の役割を演じています。
そしてその役割こそが、私達が相手に「こういう行動をとって欲しい」と期待したことを指しています。

 

分かりやすく言うと、
「この人は好きじゃない」と事前に思い込みながらその人と接すると、あなたは無意識に敵対的な行動と態度をとるでしょう。
が、これが敵対的な行動と態度を取る舞台を相手に作ってあげているのです。

つまり、私達が用意した役割を相手はただ演じているだけ
にも関わらず私達は、「やっぱりこの人は好きじゃない。ますます嫌いになった」などと確信を強め、相手を非難します。

相手にそうさせたのは自分自身の行動と態度が原因なのに、それに全く気付かないのです。

 

誰かに怒っているときも同じです。
人間は怒鳴られると怒鳴り返したくなる生き物ですが、もちろん声の調子によって相手の声の調子もコントロールすることも可能です。

腹が立った時、大きな声を出せば出すほどますます腹が立ってくるものです。
なので、もしも相手の怒りの感情をコントロールしたいのならば、自身の声の調子を下げるように意識すると良いでしょう。
すると、相手もやっと声の調子を下げることができるのです。

声の調子が下がってくれさえすれば、これ以上感情的にならずに済み、冷静になれるきっかけを生み出すことができます。

 

ココが重要!

それはまるで、鏡の前に立っているかのようです。
自分が笑えば相手も笑うし、自分が不機嫌のときは何故か相手も不機嫌に思えてくる。
こんな単純な法則なのにも関わらず、どんなに重要であるかを認識できている人は、何故かほとんど居ません。

 

 

それでは、これらのことをしっかり理解した上で、相手をもっとより良い方向へ導かせるにはどうすればいいのかを考えてみましょう。

 

よくやってしまいがちなのが、相手を向上させる為に叱ったり、脅したりすることでしょう。
しかしこういうやり方はうまくいきません。事態を悪化させる恐れもあります。

一度思い出してみましょう。
人間というのは、自分に与えられた役割を果たそうとする生き物です。

なのに相手を非難してしまうと、非難された相手は「この人は僕に失望している」ことを察知し始めます。
その結果、あなたの低い評価に沿った行動を取るようになっていくのです。

 

ここを押さえよう!

つまり、
もしも相手に行動を改めて欲しかったらそのことをしっかりと伝えて、それが行われることを期待するしかないのです。
もちろんやるやらないは相手の自由なので、中々期待に応えてくれることは少ないかもしれません。
しかし、ただ叱ったり脅したりするよりははるかにマシです。

どんな人であれ、
誰かが私に見せている側面は、私や他の人たちが相手の中から引き出したものなんですね。

仮に職場の同僚が、「部長は頑固で人の話を聞かない」と言っていたからといって、自分もそういう先入観を持って判断するのは賢明であるとは言えません。

ただ単にその友人が、部長が持っている頑固な面を引き出しただけなのかもしれないのだから。
相手の悪い側面ばかり引き出してしまうのは、引き出し方を間違っているだけなのかもしれない。

 

ポイント

「どんな舞台を用意すれば、あの人は私の手を握って踊ってくれるのだろう?」

こう意識しながら誰かと接するように心がけてみてはいかがでしょうか。

 

 

『はじまりの音』が変われば、相手の対応も変わる

 

あなたが自覚してようがしていまいが、

人々は誰かと関わる度に舞台を設定している、ということは何となくお分かり頂けたでしょうか?

例えば、悩みを打ち明けたいからシリアスな舞台を設定したい。
そんな場合は、「ちょっと相談したいことがあるんだけど・・・聞いてくれないかな?」と言うのがベストでしょうね。

 

最初の言葉、動作、態度こそが相手に舞台を演じてもらう上で重要な「はじまりの音」となることを覚えておきましょう!

 

仕事ができない部下に対して上司が放った第一声が、
「うーん。どうして君はこうも上手くできないのだろう・・・」では、奏でられている『はじまりの音』は悲しすぎます。
そんな音では、部下がそれ以上ネガティブな言葉しか出なくなるのも当然と言えば当然。

人間関係がうまく良くならないのは、
この「はじまりの音」そのものが間違っていることが実は多かったりするのです。

 

参考

仲が悪いカップルがよく言うのは、
「彼女(彼氏)が謝ってきたら、歩み寄ってあげてもいい」というもの。
こんな雰囲気で二人をいくら和解させようとしても時間の無駄でしょう。

お互いが奏でているはじまりの音は、『敵意』

そんな舞台で顔を合わせるものなら、口論になっても仕方ないですよね。

どちらか片方が「和解」という音を出せれば、ほとんどの困難はきっと乗り越えられるはずなんです。

ですので、相手に関わる前に
「自分は相手に何を求め、どういう反応をしてくれるのを期待しているのか?」
「どういう雰囲気で話し合いたいのか?」
などと常に自分に投げかけるように心掛けることが大切です。

 

自分がつまらない人間かのように扱われるのであれば、楽しく接する術をもっと身につけなければならないでしょう。
そして自分が優しい人間のように振舞えば、周りはあなたのことを優しい人物として扱い始めるでしょう。

よく耳にするのが、「高圧的な態度を取るのは、自分に自信がある証拠なのだ」というもの。
ですが、これは逆です。

本当に自分に自信があるのなら、「自分はこんなに素晴らしいのだよ」と相手に納得させようなどとは思わないはずです。
そういう行為に及んでしまうのは、その必要性を自分で感じているからです。
本当は心の中では「自分は小人物」だと思っているのです。

本当に自信がある人は、少しも気取らずにいつも自然に振舞っているものです。

とはいえ、
自分を大物ぶってよく見せようとしている人は、正直自分でもそのことに気付いています。
そして周りはその人のことを、「口先だけの見せかけの人物」であることも見抜いています。

そして更にそういう人ほど、自分のことを良く思わない人が居れば裁こうとします。
そんなことをすれば、自分の評価はますます下がっていく一方だというのに・・・。

 

ある特定の人達には優しく振る舞い、違うある人には理不尽に厳しくしている人が居たとしましょう。
残念ながらそんなことでは、周りから「優しい人」だとは評価されません。
そんな人は結局、「他人をけなす人だ」と評価されて終わりです。

ポジティブな発言というのは、良いところを見せる場面も多く、私達はよく考えて発言します。
しかしネガティブな発言をするときというのは、素が多いのでその人の本性がよく現れます。
悪口を言えば言うほど本性があらわになるので、その人の印象はどんどん悪化するでしょう。

不平不満ばかり言う人の人望の無さは、おそらく誰もが知っている通りでしょうが。

 

 

 

魅力的な存在になりたいのであれば?

 

 

自分を好きになってもらうように強要することはご法度・・・

ですが多くの人は、引き付けられるような人にはなれるはずです。

 

もしもあなたが「周囲を引き付けられるような存在になりたい」のであれば、以下を参考にしてみてください。

 

受けいれる

他人を変える力をもつことは誰もできません。
しかし、変わるきっかけを相手に与えることならできます。
それは相手を、ありのままに受けいれるしかありません。

自分が好きなものを好きになるように主張したりせず、とにかく一緒にいるときは相手がくつろげるように気を配ったり、自分らしく居られる権利を相手に与えてあげることを心がけると良いでしょう。

例えば、
精神科医のもとには様々な問題を抱えた方々が訪れると言います。
しかしその中のほとんどの人が、だいたい週に2、3回診察を受けただけで治ってしまうそうです。
その診察の内容は、ただお医者さんがじっくり話を聞いてあげるというもの。
それだけで多くの悩みは解消されてしまうのです。

多くの人が悩みに振り回されてしまうのは、自分を素直に受けいれてくれる人が周りに居ないからなのかもしれません。

そんな人が周りに居れば多くの悩みは解消されるだろうし、
私も積極的に人の心理を学ぼうとは思わなくなるだろう・・・。
悲しい。

とにかく、私達が他者に求めているのは、自分を無条件で受けいれてくれるような寛大な心です。
しかし、誰からも受けいれられる人は存在しないし、その理想を追いかけるのは現実的ではありません。

それでも全ての人々は誰かに受けいれてほしいと願う。
そして、「自分を受けいれてもらえない」と感じることほど辛いものはありません。

普段からしつこく粗探しをしている人は、相手の欠点に目がいってばかり。
すると相手は、自分自身のことが嫌いになっていくのです。
その結果自尊心は低下していき、きっと相手もこちらの欠点を探し始めようとするでしょう。

 

特別扱いをしてみる

全ての人々は
「自分の価値を認めて欲しい」、そして「特別扱いして欲しい」と思っています。

例えば、
好きな異性から「私にはあなたしかいないの❤」と言われると誰だって興奮してしまいますよね。
しかし、異性がその言葉を色々な人に言っているのを見たら、「軽く見られている」と、怒りを覚えますよね。

また、「皆さんの意見が聞きたいです。」と言われるより、指名をされて「○○さんの意見を是非聞かせてください」と、特別に扱われた方が気持ちが良いはずです。

私達は、「皆さん」、「お客様」、「全員」
などと、ひとくくりにされるのはあまり好きではないのです。

周りに色々な人がいる中でも、1:1で話しかけられて重要な存在であるかのように扱われるのが本当に大好きです。

特に子供は、他の子供達と同じように扱われるのを非常に嫌います。
「僕にはこういう力があるんだ!だからちゃんと見てよ!」と。

ですので、こういう気持ちが強い子供に対して他の子供との比較を行うと、子供の自尊心をただ傷つけるだけになってしまいます。

 

相手の反応をコントロールしている?のまとめ

  • 「周りの人の機嫌が悪いな・・・」と感じた際は、いつの間にか自分の機嫌も悪くなっていることに気付くことが多い。
  • いつも不平不満を漏らす人のことをよく観察してみてください。 それがその人の本性です
  • 「相手は個性を持った一人一人の人間である」それはあなたも同じ。

 




人の習性を知って、人間関係に光を

人間関係の関わり方は、大きく分けて3つあると言われています。

 

①相手を脅して恐怖を与える関わり方

例を挙げれば、犯罪者や一部の権力者のように、求めているものを相手から奪い取る方法。

 

②自分が求めているものを与えてもらう為、相手に媚びる関わり方

これはその名の通り、「どうかお願いします。お恵み下さい!」です

 

③ギブアンドテイクな関わり方

相手が求めているものを与えると、相手も自分が求めているものを与えてくれる。

 

どう見ても、一番まともなのはですね。

ですので今回は、このギブアンドテイク法について詳しく学んでいきます。

 

まず私達人間が欲しているほとんどのものは、基本的には他者がもっているものです。
ということは、あなた自身も他者が求めているものをふんだんに所持していることになります。

 

一般的に幸福な人はより多くの幸福を周囲に与えようとするので、幸福な人自身はどんどん願望が満たされていきます。
その為、他者の願望に対しては、はるかに寛大で思いやりがあるのです。

逆に欲求不満に暮らしている人は絶えずイライラしているので、周囲に多大な迷惑をかける恐れがあります。

 

 

 

一体何が問題を起こしているのか?

 

 

 

そもそも私達を悩ませる問題の原因は、私達が他者の求めているものを侮って対応していることにあります。

 

私達が普段、「苦手だ」と思っているあの人の行動は、むしろ理に適っているもの。

「あの人は何考えているか分からない。苦手だわ~」と言っている人に限って、人の習性を軽くみています。
人の習性を知っていけばいくほど、嫌いなあの人のことが特別厄介だとは思わなくなるはず

 

要は簡単に言えば、下手なゴルファーに限って、ミスを環境や道具のせいにすると同じこと。

人間関係もそれと同じで、他者が何を求めているか見極めて、相手の願望を満たしてあげれば良い人間関係が築けるということです。

確かに周囲は意地っ張りで頑固な人だらけ。
だけどそう見えてしまうのは、もしかしたらあなたが人間の習性を理解できていないだけなのかもしれません。

 

 

重要ポイント

人の習性は、”知っておくだけ”でいいのです。これだけで結構違ってきます。

知らないものに対処するのって、無理ですし自信ももてません。

だからほとんどの人は、人間関係で悩むのです。

 

 

例えば、

臆病な人は他人とうまくやっていこうとする。
それは、相手の言いなりになること

横暴な人は他人とうまくやっていこうとする。
それは、いつも相手を脅して言いなりにさせること

 

どちらも実は、他人とうまくやっていく方法を実行できています。
私達はもう正直他人とうまくやっていく方法は学ぶ必要などありません。
私達はどんな性格であっても、理に適った他人との付き合い方は既にできている!

 

誰しもが、「こういう人に困ったら、こうすればいい」というアドバイスを受けています。しかし、それがうまくいったことなんてあまりないはずです。

あなたがこれまで出会ってきた人は皆違います。
ゆえに、1人1人に合った小手先のテクニックを知って実践しても仕方ない。

結局それは、「その人」だけに合ったやり方に過ぎません。

だから人の習性を学んでいくのです。

 

 

人間関係の基本

 

 

では、人間関係で必要な「基本」とは何なのかと言えば、それは相手の自尊心を傷つける行為は絶対にしないことです。

私達人間は、特に自尊心に関してはとてもデリケートです。

 

人間関係での注意点

人は「自尊心を大切にしてもらえた」と感じると、感情に流されることなく冷静に振舞ってくれるもの。
しかし、「自尊心を傷つけられた」と感じると、すぐ感情的になります。

更に全ての人々は、「自分自身を大切にして欲しい」と思っています。
もしそれを傷つけてくるのならば、その人をすぐに「敵」とみなすのです。

 

 

例えばこんな事件があったそうです。

 

事件①

気を振り絞って好きな異性に話しかけたのに、冷たくあしらわれたことに激怒し、その異性を殺害してしまった。

 

事件②

1人の少年がコンビニ強盗を働いた。
その動機は、「何もできない弱虫だ」と友達にからかわれたので、自分の実力を見せ付けたかったから。

 

 

 

2つの事件から私達が学べること、それは・・・
「自尊心を傷つけられた人間は、それを守る為に過激な行為に及んでしまう」
ということです。

相手の人間としての尊厳を踏みにじってばかりいると、いずれ嫌な目に合わされます。

 

 

人間関係の原理を学ぼう

 

 

今回一番重要なこと、即ち人間関係の原理を4つ紹介します。

これらは、全ての人々に共通する人間関係の「基本」になります。

必ず覚えておきましょう!!

 

人と関わっていく上での『基本』

  • 全ての人々は少しばかり違いはあれど、自己中心的である。
  • 全ての人々が一番関心をもっているのは、自分自身。
  • 人生において、重要なのは自分自身。
  • 全ての人々は「他者から認められたい」と思っている。

 

 

好きなあの人も嫌いなあの人も、みんな「自尊心を満たして欲しい」と強く願っています。
その願望が満たされて初めて、人々は自分自身のことを一度忘れます。
忘れることにより、他者に目を向けるようになるのです。

 

ポイント

人々はみんな「自尊心を満たして欲しい」と思っています。
つまり、いつも誰かを批判しているあの人は自尊心が低すぎることが分かります。

自分自身の事が嫌いな人は、他者に対して友好的にしようとはしません。

なので特定の人との人間関係を良くしたいのであれば、
まずは相手に自分自身のことを好きになってもらわないと意味がありません。

 

 

 

例え相手が成功をおさめているからといって、
「少しくらい嫌味や皮肉を言っても大丈夫だろう」
「友達は何も言わない人だから、少しくらい待たせてもいいだろう」
などと考えてはいけないということですね。

 

もう一度言いますが、誰だって「自分の重要性を認めて欲しい」、「自分の価値を認めて欲しい」と思っています。

 

例1

あなたが友人との待ち合わせで5分遅刻してしまったとします。

あなたにとっては「たったの5分」
しかし、相手にとっては「されど5分」です。

問題なのは、5分という時間ではありません。
あなたが友人に伝えているのは、「この面会にあまり価値は無いと思っている」というメッセージです。

 

例2

夫婦の離婚の原因を挙げれば、
「夫は綺麗な女性を目で追っている」
「夫は友達の前では妻の私をからかっている」
「妻は夫である私のご飯をテーブルに置かない」
「妻は夫である私より、犬の方を大切にする」

などがあります。どれもほんの些細な出来事です。

 

 

2つの事例全てに共通しているのは、
「私はあなたを重要な存在だとは思っていませんので」というメッセージを送っていることです。

些細な出来事がきっかけで、夫婦の関係にしろ職場の関係にしろ・・・。
破綻してしまう原因は本当単純なんですね。

 

私達が肝に銘じておくべきなのは、相手を軽んじるような言動が積もり積もると、とんでもない悲劇を招くということです。
即ち「小さな火花がきっかけで大爆発が起きる」ですね。

 

 

相手の重要性を認め、相手に自分のことを好きになってもらうには?

この場合、3つのルールを守る必要があります。

 

誠実な気持ちを持つ

関係がうまくいっていない相手が居るということは、あなたはその人の事を心の中で「つまらない存在だ」とみなしているということです。
もしも誠実にできないのなら、その人の事は諦めましょう。

 

②まずは相手に注目してみる。

実際私達は、身の回りで起きていることを自分にとって重要な部分しか見れておりません。
その理由は、自分にとって必要なものだけを選んで注目しているからです。
関係の無い話は興味がないから聞き流すし、あの人の言うことはつまらないから聞き流す。

なので、
もしもあなたが相手に自分の行動を改めて欲しいと思うのなら、その人に注目してあげるだけでも効果的です。

子供にいたずらを止めて欲しいと思うのなら、子供にしっかり注目してあげるといい。
例えば食事の際に野菜を残すのは、もっと注目して欲しいから。
勉強をしないのは、子供の努力に気付いてあげれていないから。

夫婦だって同じです。
例えば、新しい髪形にしてもパートナーがそれに気付いてくれないのなら、誰だって傷つきます。
すると、「髪に気づいてくれないのは、普段から自分に注目していないからだ」と考えるようになっていくのです。

これこそが、「自分を重要な存在だと思ってくれていない」という証でしょう。

一人一人の重要感を満たすには、少しずつ注目してあげるだけでも十分なのです。

 

③決して威張らない

人々は、「自分の重要性を満たして欲しい」、「誰かに重要な存在だと認めて欲しい」と思っている。
それはあなたも同じです。

なので、人はどうしても誰かと関わるとき、自分の重要性をどうにかして相手に印象づけようと必死になることがあります。

あの人が自分のことを意識していようがいまいがどうでもいい。
とにかく、私達は良い印象を与えたいのです。

それがいきすぎてしまうと、自分を良く見せる為の言動をしてしまうようになる。
これが良く、相手を軽んじてしまっていることが多い

例えばよくあるのが、
自分の方が上だと分からせるために、相手の間違いを指摘すること。
多くの場合、
人の間違いを指摘するときというのは、問題を解決したいからではありません。
相手を批判して、「自分の方が重要だ」ということを分からせたいのです。

もちろん相手の間違いが自分の生死に関わるのならば、それはきちんと指摘しなければなりません。
しかし、例えば相手が「ラピュタは本当にあるんや!」と主張しても、あなたが天空を知り尽くしているような人でない限り、それが本当でもウソでもどうでもいいでしょう。

誰かの間違いを指摘しても自分には何の得もありません。
相手はただ、自分の主張を信じたいだけだし、ただ自身の自尊心を満たしたいだけ。
故に、あなたがどうこう言っても仕方ない。

 

 

人間関係の関わり方のまとめ

  • とにかく自分と相手の自尊心を大切にしていきましょう
  • 相手の間違いを指摘すると、自尊心が低下してしまうので、全否定はせずに部分否定をしてあげましょう。
  • 相手を軽んじて偉そうにしている人は、とにかく自身の重要性を知って欲しいからです

 




人気商品はいいものなのか? 希少性の原理を知る

 

 

珍しい物は本当に価値があるの?

 

ちょっとイメージしてみてください。

 

 

カフェで友達と楽しくお喋りをして盛り上がっていると、あなたの携帯が鳴り、別の友達から電話がきたとします。

もしもそんなとき、

目の前の友達に一言断りを入れて、その電話に出るでしょうか?

それとも目の前の友達を優先するでしょうか?

 

多くの方はこのような場合、やはり電話に出てしまうかと思います。

その理由をよくよく考えてみると、
「この電話に出なかったことにより、何か失うものがあるかもしれない」と無意識に考えてしまうからです。

例えば、
「もしも電話を取らなかったら、その人からはもう2度とかかってこないかもしれない」
「かかってきた電話がもたらす情報を永久に失ってしまうかもしれない」

電話の着信音を聞き流せば聞き流すほど当然そのリスクは強まっていくので、どうしても電話に出ることを優先したくなってしまうようです。

 

要するに人というのは、

「あるものが失われてしまうのでは?」と考えてしまうと、それに強く刺激を受けてしまうと言えます。

 

今回の重要ポイント

ある品物の数が少ない、もしくは少なりつつある物は、それだけその品に価値があると思い込んでしまう
あるチャンスが時間と共にどんどん手に入りにくい状況になっていくと、その機会がより貴重なものに思えてきたり。

これを希少性の原理と呼びます。

実は多くの人々が、何らかの形で希少性の原理に支配されているのです。

 

 

 

 

一見すれば何の価値も無さそうな物でも、「この世に2つとないもの」と言われると、それこそが価値だと思い込んでしまうということは、

これが誤った判断をさせることもあるということです。

 

 

数量と時間を利用した希少性

「数量限定」と「時間制限」

 

まずは、「数量限定」という希少性とは何かご紹介します。

 

数量限定

家電屋さんで、とある特売の品に興味を示し店員さんを呼んだものの、「実はこの商品は先ほど売れ切れてしまいまして・・・。確かそれが、最後の1つだったかと」
とか言われると、多くの方は間違いなく失望してしまいますよね。

「もう手に入らない商品です」と言われると、多くの消費者はその商品に対してより一層の魅力を感じてしまうはず

しかし大抵の場合、在庫はちゃんとあるのです。
心配しなくても店員さんは、「まだ在庫は(沢山)ありました」という知らせをもって(必ず)戻ってきます。
もちろん手には契約書とペンがしっかり握られています。

冷静に見てみると、「これで買う人なんておらんやろ!」などと思われるかもしれません。
しかし大抵の人にとって、もう既に契約は後戻り不能な所まで進んでしまっているのです。

この商品は手に入りにくいものだから、この上なく商品に魅力を感じてしまっていますし、「この商品を買おう!」という決定が1度なされているので、コミットメントも発生してしまっている。

時既に遅し。
お客さんは間違いなくこれを買ってしまうのです。

 

 

では次に時間制限です。

人はしばしば、「選択できる時間が無くなりつつある」というだけで、たいして関心もないことを行ってしまう生き物です。

時間制限

よく使われるのは、「独占!」「特別!」「終了!」「間近!」でしょう。

そしてセールスでよく使われる戦術は、最終期限を設けて、今すぐ決断を迫るというやり方です。

「今買わなかったら、後でもっと高い値段で買わざるを得なくをなりますよ!」

「二度と買えなくなりますよ!」

「今日はたまたまこの地域を回らせて頂いているだけなので、特別価格なんです!」

またあるいは、「後でやっぱり購入したい!と決心されても、会社の方針でもう一度お伺いしてお売りすることはできないのです」などと、普通に考えても有り得ないことを言う人も居るかもしれません。

しかし普通に考えて有り得ないことでも、
今欲しくさせてしまえば、商談についてあれこれ考える時間を与えさせないようにできるので、それに気付くことは非常に困難。

つまり彼らが「再訪問できない」と主張するのは、
後では手に入らないという脅しをかけて信じ込ませようとしているに過ぎないことが分かります。

 

 

 

 

どうして珍しい物に心動かされるのか?

 

 

そもそも私たち消費者は、「手に入りにくいものは簡単に手に入るものよりも良いもの」だと知っていますよね。
だからこそ、

魅力を感じた→良い物だ買おう

 

 

と、賢明に手っ取り早く商品の品質を迅速かつ正確に判断することができるでしょう。

そう、実はそこが弱点なのです。

 

無意識に生まれる弱点

「欲しいものを手に入れる機会が減少している」と感じると、『自由』を失っているかのような感覚に襲われます。

この『自由』を失うことが、人間はどうも我慢ならないのです。

『自由』が制限されたり脅かされたりしたときに人間がまずやることは、自由な選択を回復させようとすること。

そういった欲求が無意識に生まれてしまい、満たそうとするのです。

 

ココを必ず押さえる!

希少性の影響というよりも、人が生まれながらに持つ欲求のせいで心動かされると言ってもいいです。

今まで当たり前のようにできていたことが出来ないと分かったとき、私達は人が変わったかのように豹変してしまう

 

 

 

希少性は具体的にどういう影響を及ぼすのか?

 

 

 

 

 

では、希少性の問題点とは何なのでしょう?私達消費者にどういう影響を及ぼすのでしょう?

 

まず私達は、数少ないものや珍しいものを目の当たりにすると体が興奮してきます。
それが欲しいと思っていれば思うほど、当然その感覚は強いことでしょう。

そして特に、自身の状況が競争に巻き込まれている場合は、頭に血が上っていたりすることも多く、その為周りが見えなくなってしまうことがよくある。

そうなってくると、落ち着いて「これからどうすべきか?」を考えるのは容易ではないでしょう。

 

珍しい物を目にすると、そのことで頭が一杯になる。
それは時間が経てば経つほど、どんどんひどくなっていく。
理性や論理なんて、簡単にどこかに行ってしまう・・・!

 

補足

警戒するだけなら簡単

だけど、その警戒心に従いつつ行動していくのはまず無理。

例えば、
買い物をしているときにあなたの目の前で、今からまさにバーゲンセールが行われ始めようとしています。

商品を見ると、正直あまり欲しいものだとは言えません。
早い者勝ちで、何より多くの人が参加をしようとしています。
それでも普通なら、欲しくもないものに時間や労力をかけようとはしませんよね。

でも、よく見てください。
あれだけあった商品がどんどん無くなっていくんですよ?
湧き上がってきませんか?闘争心。

 

誰もが「自分にとっては価値が無いし必要もない」ことまでは気付けるのです。
それなのに、どうしても体は反応してしまい、興奮状態に陥る

一度でも興奮してしまうと、慎重な行動を取るのは大変困難です

 

ポイント

つまり、
どれだけ希少性という人間の傾向を知っていても、愚かな衝動からは身を守れないということです。

 

 

 

希少性の原理の罠に陥らない為には?

 

まず皆さんに理解しておいて欲しいのが、「興奮する」という行動は人である以上避けられないということです。
こればかりは仕方ありません。

 

 

珍しい物を見つけた際に、「まずい!希少性の原理が働く!どうしよう!」などと、あれこれ考えても仕方ない。
諦めて時間を経過させ、一度自身を興奮させましょう。

 

そして興奮し始めたら・・・そこからが勝負!!

 

例えば、
中々売られていないような、珍しい車をあなたが求めているとしましょう。

やっとのことで売られている店舗を見つけました。
そして何と何と、お値段も妥当です。

興奮しますよね? どうぞどうぞ。

はい!肝心なのはこの後です

まず珍しいものというのは、「求める」気持ちを高めてくれるものですが、
そもそも、どうしてその車が欲しいのか一度思い出してみてください。

例えば
「彼女が言ったんだ。
この車でいつか私を迎えにきて、どこか遠くへ私を連れ去って!ってな。」

・・・なるほど、それはそれで結構です。
どうかお幸せに。

ところがちゃんとした理由も分からず、
「ただ所有したいだけ」というのがあなたの回答ならば・・・。
今一度考えてみるべきです。

 

 

ズバリ、希少性の罠とは

所有するのが目的で、何かを欲しいと思うことはほぼないはずです。
必ず何か理由があるはずなんです。

手に入りにくいからといって、
果たしてそれが自身に幸福を届けてくれるかどうかは分からない。
価値があるとは言えない。

希少性の高いものを見ると、私達はしばしばこんな事実を忘れがちです。

 

 

それでは最後のまとめです。

 

希少性の原理のまとめ

  • 希少性の影響による胸の高鳴りを感じたら、それを立ち止まって考えるという合図に設定してください
    その目的とは、理性を取り戻すことです。何故それが欲しいのでしょうか?
  • 「珍しいものだから、これは素晴らしいんや!」これって正しい考え方ですか?
  • 欲しい欲求が続けば続くほど、最初に自分で決めていた大切なルールを忘れていきます。




誰かに騙されたくないのなら、考える習慣をつけるべき

権力ある者に服従という動機で、何らかの行動をしてしまうことってよくありますよね。
まぁそれもそのはずで、

多くの人は小さいころから両親に「適切な権威に従うのは正しく、従わないのは間違いだ」と教育されてきているはずです。

 

参考

子供ならば、
家でのしつけだったり、童話の中に盛り込まれていたり、学校で先生から教えられていたり。

大人ならば、
法律、軍隊、政治システムなど。

 

強力な動機を目の当たりすると、「本来ならその動機にはそれなりの存在理由がある」と考えるのが普通ですよね。

私たちは、権威のある人から命令を受けたとき「従うか?拒否するか?」と、そこまで悩むことはほぼありません。
ほとんどの場合、何も考えずに「権力ある人からの命令だ→じゃあ従おう」と服従するはずです。

成功者からの助言も同じで、
どうしたら成功するのか?という状況下で受ける成功者からのアドバイスは、
「これから自分はどのように行動するべきか?」を決定する為の思考の近道を提供してくれます。
なので、「彼が言うのだからとにかくやってみよう!」となります。

 

ある程度の地位に居る人は、普通はそれだけ情報や権力をもっているワケです。
なので、きちんと確立された権威者の意向に従うのは理に適っていると言えます。

が、問題なのは、これが理に適い過ぎているです。
その為私たちは、全く理屈に合わないような場合でも、思わず権威者に従ってしまうことがあります。

ココに注意

「この人に従えば報われる!」ことを知った途端・・・
人は服従の恩恵と呪いを受けるのです。

確かに適切な行動を取っていることもあるでしょう。

だけど正直、何も考えてなどいないはずです。
つまり私たちはこういう場合、ただ単に反応をしているだけなのです。

こう考えると、

明らかに不適切な行動をとってしまう可能性がいつ出てきてもおかしくはないことがお分かり頂けるはず。

 

 

 

服従が続くと、権威者の判断に疑問を思うことをしなくなる。
何故なら正当な権威者の命令だから。
だから下の者は考えることをやめる。
あとはただ何も考えずに、随時反応していくだけ・・・

 

注意しなければならないのは、
正当な権威者の発言が「適切なのか?」「不適切なのか?」は、状況によって変わってくることです。

「この人の言うことは正しい」ではなくて、
「こういう状況の場合は、この人の言うことは適切」。
これをしっかり思い出しましょう。

 

 

こうした

考えなしのやり方でいつも行動していると、いずれそれを悪用して人を騙す輩の標的になることは明白です。

 

 

何故なら本当の詐欺の名人は、権威を示して相手を丸め込もうとするからです。
例えば肩書き、服装、装飾品で自分を包み込みます。

 

そして「カモ」となりそうな人を見つけると、
「私の隣に居るのはあの有名大学の医師だ。ひざまずくがいい」などと自己紹介する。
これと同じような手口が大好きなのです。

このように、

自分を飾ると相手からの承諾が格段に得やすくなることを彼らはしっかり理解しています。
是非覚えておいてください。

 

 

肩書きに隠されている力を知ろう

『肩書き』は本当に厄介で強力である

 

肩書きが何故厄介なのかというと、
相手の行動は、
話の内容ではなく、肩書きによって大きく影響されてしまうからです。

 

ある有名大学の教授の話が良い例です。

彼はよく見知らぬ人とバーでちょっとした会話を楽しむそうです。
そして彼は、教授の肩書きは決して明かそうとはしないようにしています。

何故ならその途端、会話の流れが変化するからだそうです。

相手はさっきまで愉快な会話でガンガン冗談を言うような人だったのに、
自分の職業を明かした途端、突然お上品でただただ頷くばかりの退屈な相手に変化するのです。
もはや相手は改まってしまい、常に正しい文法と言葉遣いに意識しながら話を合わせてくれるようになってしまいました。

「今まで一緒に話していたのと同じ人間なのに」と彼は言います。
なので、いつも職業は偽って会話を楽しむようにしているそうです。

偽らなければならないこと自体、権威というものがいかに強力で相手の行動に影響を及ぼしてしまうかが分かりますね。

 

そもそも肩書きを獲得するのは非常に難しいこと。
その為には、何かに対して何年ものめり込み、結果を上げる必要があります。

 

 

肩書きの注意ポイント

しかし肩書きの厄介なところは、そうした努力を一切しなくてもただの「ラベル付け」だけで相手にYESを引き出すことができる点です。
即ち、もっていないはずの肩書きをもっていないように見せかけることもできるということ。

 

 

肩書きや権威を引き出してしまう要因とは何か知っておこう

まずは身長・服装・装飾品に注意しよう

 

①身長

例えば、
詐欺師は身長が平均的だろうが高かろうが、大抵の場合は底上げした靴を履くとされています。
また仕事では、身長が高い人は責任のある地位に就きやすいとされます。

これは、
人は身長の高い人を見ると、何故か相手に大きな「期待」をしてしまう。
そんな傾向を利用しているからです。

 

 

②服装

服装も無意識な服従を引き出す権威の1つになります。
そして何より、服装はあらゆる点で偽造ができるのがとても厄介。

詐欺師の多くは、服装の手口をよく使います。

医者を演じるときは「白系」
警察なら「青系」など。

その場面で自分が最も有利になるような色の服で身を包むのです。
まさにカメレオンですね。

しかし権威というのは必ずしも服装で決まるワケではないはずです。
見た目がどれだけ権威のある服装でも、中身がそれに伴っているかどうかはまた別問題です。
・・・まぁこの事実に気付いたときには、既に手遅れであることは確実でしょうが。

つまり、
本物そっくりの服装であれば、人々をまるで催眠術にかけさせるかのように権威に服従させることもできるということです。

 

 

③装飾品

スタイルの良い高価な服は、自分の地位の高さを周りに引け散らかすにはとてもうってつけ。
これは宝石も、そして自動車でも同じことが言えるでしょう。

多くの方は共感してくれると思いますが、私たちは高級車に対しては特別扱いしてしまう傾向があります。

例えば信号待ちをしているときに、信号が赤から青に変わっても前の車が中々発進しない状況をイメージしてみましょう。

前の車が一般的な車の場合は、比較的早くクラクションを鳴らしてしまうかと思います。

しかし新型の高級車だった場合はどうでしょうか?
多くの方は、クラクションを鳴らすのを躊躇って、前の車が動き出すまでじっと待つはずです。

 

 

Tetoから一言

「気が付いたら騙されてた・・・。」というのは笑えないお話なので、権威が持っている部分の悪い要素だけを取り除く心構えを学ぶ必要があるということですね。

 

権威に対する人々の誤解

権威の力を甘く見過ぎている私達
且つ誤った認識もしていることに気付く

 

とにかく一番何が悪いかって、権威の力を舐めてしまっていることだと思います。

 

「権威者からの権威に気をつけるぞ!」などと、意識して日々を過ごされている人はまずいないでしょうからね。

 

注意点

権威から身を守る為にしっかり肝に銘じておくべきことは、

権威の力を十分に意識すること
権威は簡単に捏造することができる

この2つになります。

権威を利用して、私達に何かをさせようとしていることに気付いてしまえば、きちんと身を守れるはずです。

 

 

 

 

 

Let’s Try!

 

 

「・・・やってみよう?

ふざけるな!」

 

一見単純な話に思えます。
しかし、権威が及ぼすものは複雑です。

何故なら多くの人は、権威に対して全くと言って良いほど抵抗しようとは思わないから。

 

 

権威のある人が話している事柄、いわゆるアドバイスには素晴らしいヒントが隠されているもの。
つまり権威者は、言ってしまえば私達にとって専門家なのです。

(確かに調べてみれば、権威=専門家と定義づけられている・・・)

 

専門家のアドバイスを無視して、知識の乏しい自分の判断に頼るのは賢い選択だとは言いがたい。
とはいえ、あらゆる場面で権威者のアドバイスを信頼するのも愚かな結果を招いてしまう・・・。

 

ポイント

以上のことから、私たちが目指すべきゴールは
権威者に従うべきときと、そうすべきでないときの区別をつけられるようになることです。

 

 

では、権威者の指示に従うべきか否かをしっかり考えて決められるようになるには、どうすればいいのでしょうか?

 

 

 

このとき役立つのは、まず自身に「この権威者は本当に専門家なのだろうか?」と問いかけてみることです。

 

これにより私たちは、
「権威者としての資格があるのか?」と、その証拠を探し始めるのです。
証拠に目を向けるということは、即ち考えるということです。これにより「単に反応しているだけ」な行動から逃れることができます。

この質問は本当に価値があるんです。

 

私達は、権威からの圧力と現代の忙しい生活に追われ、区別する大切さをとかく忘れてしまいがち。
なので、意味のない肩書きに注意が向けられないようにすれば、騙される確率は大きく減ってくるはずです。

 

 

さて、まだ自問自答は続きます。

次に自分に問いかけるのは、「この人はどの程度誠実だろうか?」です。

即ち、自分が求めている情報をどれくらい正確に教えてくれるのだろう?と意識するのです。

 

仮に相手が「この人は俺が求めていた専門家だったぜ!」と判断できたとしても、油断だけはしないように。

 

 

確かに権威者は多くの情報を持っています。
だけど、それを正直に教えてくれるかどうかは相手次第なんですよね。

ですので、相手の誠実さもしっかり考慮しながら話を聞かなければなりません。

 

 

例をみてみましょう。

 

①誠実な人?

よくセールスで、

「確かにこの商品は他社と比べると性能は劣る部分があります。しかし、お客様のアフターフォローは他社よりもしっかりしています!」
「確かにこの宝石は高値で手が出にくいものです。しかし、あなたにはこれを身につける価値があります!」

などと言われます。

こういう戦略が頻繁に用いられる理由としては、些細な欠点を認めて自らの誠実さを印象づけ、相手からより強い信頼を勝ち取ろうとしているから。

 

②誠実な人?

他にも、
「上司からはこの商品を勧めてこいと言われています。だけどここだけの話、正直この商品はお勧めできません。
その代わり、○○や△△というものがあるのですが、私は個人的にこちらを皆様にお勧めしております。」
と言われることもあります。

この策略に含まれているのは、
仮にお客さんが商品を買わなかったとしても、「自分に役立つ貴重な情報を与えてくれた!」と感じさせることができる点です。
そうなると、返報性のルールが働いてしまいます。(返報性のルールの記事はコチラ)

どの商品が本当に優れているのかをきちんと知っていることをアピールできれば、権威者だと相手に認めさせることができることも。

更に押し売りもあまりせずに、お客様第一で考えてくれるセールスマンなら、
「信頼できる情報提供者に違いない!」とみなされ、交渉がスムーズにいくのです。

 

 

 

権力・肩書きについてのまとめ

  • 本当に誠実な人だったら、喜んで相手の助言を聞けばいい。
    だけど、誠実(笑)な専門家に出会ってしまったらとても面倒臭くなります。こういうときは、「この人は自分の求める答えを教えてくれるか?」を問いかけることを忘れずに。
  • 人からアドバイスを受けるときは、必ず自分の頭で考える癖をつけましょう。
  • 考えないと騙されます!




お世辞だとしても、言われると嬉しい。・・・から危ない!

Lesson1

自分を「好きです」と言った相手は、

自分にとって“いい人”なのか?

 

例えば、
一度しか会ったことのないようなセールスマンから、
「以前お会いし、○○さんの○○が好きだと感じました」という内容の挨拶状が届いたとしましょう。

真心が一切感じられない挨拶状。他の人にも送っていることは見え見えです。

これと似たようなものを、ほとんどの人は見たことがあるはず。

 

そんな、「私はあなたに好意を抱いています(棒)」をただ伝えているだけの挨拶状に、果たして効果があるのでしょうか?

 

それがあるんです。

 

押さえておこう

恋愛を始め、こういった「○○は自分のことを好きだ」という情報は、特に私たちに大きな影響を及ぼしてきます。

人間は「好き」と言われたら、そのお返しとして好意を生み出す

そんな傾向をもっているのです。

 

 

ちょっと何かをされただけで、
誰にでもすぐに「好意」を抱いてしまうような人は、優しい顔をした悪魔の標的になってしまうので注意

また人間は、自分に似ている人を見たときも好意を抱きやすい傾向もある

因みに似ている人というのは、

考え方・性格・経歴・生活習慣などなど・・・どれにおいても当てはまる。

このことから導き出せるのは、

相手に自分の言うことを聞かせたいのなら「私はあなたとこんな所が似ている」と見せかけて、好意をもたせるようにすればいいのでは?

ということ。

 

例えばあなたがセールスマンならば、
訪問した家の玄関にもしもゴルフクラブがあった場合には、「ゴルフされるんですね!実は私も今週末はゴルフに出かけるんですよ!」と話せばいい。

「いやいや、俺はこの程度のセールストークには騙されませんよ」と思いがちですよね?
しかし一見すればどうということのない共通点でも、それらは自身の今後の様々な決定に影響を及ぼしてくることは間違いないのです。

 

Lesson1のまとめ

①わずかな共通点があるだけでも、相手が自分の望んでいる反応をさせる効果がある。
例えそれが単にでっちあげられたものだろうと、見せかけだろうと・・・。

②「彼は悪い人ではないはず。何故なら以前あの人は私のことを『好き』だと言っていたから・・・。

たったこれだけの情報で安心してしまうのはやめましょう。

 

 

Lesson2

人はお世辞に弱く、馴染みのあるものに惹かれる

 

挨拶状を送ってくるセールスマンの例でいけば、

ほとんどの消費者は、「セールスの戦略として挨拶状を送っているだけだろう」と気付けているはず。
なのに、それでもその戦略に心が動かされる・・・。

つまり・・・

人間はとにかく、お世辞に弱いのだ・・・

ですので、

お世辞を言いながら親しげに接してくるあの人は、もしかしたら自分から何かを引き出そうとしている・・・?

そういう思考にまでは至らないワケです。

 

 

もちろん事前に、「相手は私を操作しようとしている・・・!」という確信をもっているのならば、まず乗せられたりすることはないでしょう。

それでも人間は、
他者からの称賛を信じて、それを言ってくる人を好む傾向があります。
(ここでいう傾向というのは、お世辞に対して自動的に肯定的な反応を示してしまうことを指します。)

勘違いしない!

そう考えてみると、

「あなたが好きです」の挨拶状を色々な人に送りつけるというのは、それほど馬鹿げていることだとは思えなくなります。

恐ろしい話です。

 

また私たちは、馴染みのあるものが大好き。

こんな経験あるよね

例えば、選挙で誰かに投票をしに行った時のことを思い出してみてください。

僕もそうですが、こういうイベントに疎い多くの人は
「この人どこかで見たな」
「名前聞いたことあるな」
という理由だけで誰に票を入れるか決めているはず。
しかも更に、それに対しては多くの人がほとんど無意識です。

 

ここをチェック

要するに、
過去に接したことがあるものに好感を抱きやすい

ということです。

 

ただし、
馴染みをもつようになる=好意が高まるということではありません。

失望、対立、競争・・・。
そんな不快感の状況の下で繰り返し人や物に接触してしまうと、好意はどんどん下がっていくでしょう。

 

例えば、
数学の授業中に先生が、
「この問題分かる人!」といって生徒に質問するあの場面をイメージしてみましょう。
おそらく多くの人が経験したことがあると思います。

この時先生が、自分が嫌っているクラスメイトを当てましたと。
そしたらこう思うはず・・・「間違えて恥をかきやがれ!」と。

にも関わらずその生徒が正解したら、あなたがその答えを知っていようが知っていまいが関係なく、その人を妬んだり不愉快に思ったりするはずです。

そうなってしまうと、
当てられなかった生徒は、嫌いなクラスメートのことを「ただの目立ちたがり屋」とか言ったり、
落ちこぼれているクラスメートのことを「馬鹿だなぁ」と呼んで侮辱しだす。

競争に満ちている環境というのは、こういうことで溢れていますよね。

 

 

「話せば分かり合えるんや!」
・・・といって、仲の悪い人たちを一緒に行動させようと対策をとる人が居ます。

しかし一緒にいる時間を仮に増やしたとしても、
お互いを好きになったり、理解しあうようになったりする保証はどこにもないんですよね。

結局のところ、このアプローチが実を結ぶだなんて幻想に過ぎないことが多い。

根本的に間違っているのです。

 

Lesson2のまとめ

①「好き」と言われたからと言って、その相手とこれから上手く関係を築いていけるかはまた別問題である。

本当にあなたと仲良くなりたいから言っているのか、それとも別の意図があるのか・・・?

②長い時間一緒に過ごせば仲良くなれるとは決して思わないこと。

相手の価値観を認められないままだと、何をやっても好感度は上がらない




都会の人は冷たいのか? その疑問を解き明かす

Lesson1

私たちは不確かさを解消するために、他人の反応を伺う生き物。

この傾向が、集合的無知を引き起こす

 

他人の反応を伺うについては、他人を見て行動する私達で詳しく書いておりますので、ご覧下さい。

 

 

今回はそれらの人の傾向を踏まえて、『集合的無知』について学んでいきましょう。

 

集合的無知とは、現在おかれている状況が不確実で曖昧で、自分も周りも良く分からないのなら、誰一人として動こうとはしない・・・

そういった現象のことを言います。

 

ココがポイント

よく分からない状況におかれているときは、変に動こうとは思いませんよね。

つまりそれは、自分だけではないということにもなります。

自分は周りの様子を伺い、周りもあなたの様子を伺っているんです

そういった当たり前の事実を、みんなよく忘れてしまいます。

 

 

例を挙げてみましょう。

 

とある国で殺人事件が起きました。

そこに住んでいる若い女性が深夜の仕事から帰宅中、路上で暴漢に襲われ殺害されてしまった事件です。

殺人事件は決して見過ごしていいものではありません。
しかし、その場所は大都市ということもあり、記事の一番下に小さく載せられた程度にしか報じられなかったそうです。

「よくある話だ、気をつけましょう・・・」と、この事件はすぐに儚く消え去ってしまうかのように思えました。

が、この事件を捜査していくにつれて、驚愕の事実が浮かび上がりました。

なんと事件は、大勢の人の前で起きていたのです。

路上で逃げ惑う女性を大勢の隣人達は、建物の窓際という安全なところから見ているだけで、警察に電話をかけることすらしなかったのです。

殺人が行われている間、警察に通報した人は誰も居なかった。
その後初めて、ようやく目撃者の1人が通報した・・・。

記事の見出しには、「善良な市民」である人々が何故警察に通報しなかったのか?」と大きく書かれ、この話の詳細を知った人のほとんどが衝撃と困惑を覚えました。
そして事件を目撃していた人々でさえ、困惑してしまっていました。

「恐ろしかったから」
「巻き込まれたくなかった」
という人も居ましたが、理由としては弱すぎますし説得力がありません。

何故なら匿名で警察に通報したりすれば、女性を助けられたかもしれないからです。

彼らが動かなかったのは、そういうことではありません。
本人にすら理解できない何かが、そこで起こっていたことになります・・・

 

 

この理由を、二人の心理学者が説明してくれています。

 

まずおそらく、この事件から報じられるのは、
「目撃者が多数いたのに、誰も行動しなかった」でしょう。

しかし、心理学者は
「多くの目撃者がいたので、誰も助けなかった」と考えています。

 

もっと伝えたい!

こう考えた理由は2つあります。

助けられそうな人が他に何人か居れば、ひとりひとりの個人的な責任は少なくなるから。
「誰かが助けるだろう」
「もう助けてしまっただろう」
と、みんなが考えてしまうので結局誰も助けないという結果に陥ってしまう。

社会的証明の原理である、集合的無知の効果が含まれているから。
多くの場合、緊急事態というのは必ずしも「これは緊急事態だ!」だとすぐにはっきりと分かるワケではないはずです。

例えば、

道に倒れている人が居たら、
「心臓発作で倒れているのか?」
「酔っ払って寝ているだけなのか?」
かもしれません。

隣の部屋が騒がしいのは、
「警察を呼ばなくてはならないぐらいの暴行が行われているのか?」
「カップルが痴話喧嘩しているだけなのか?」
かもしれない

痴話喧嘩だとしたら、あいだに割って入るべきではないですよね。かえって嫌な顔をされるでしょう。

 

このように、

不確実さがあるときには周囲を見渡して他の人々の行動の中に手がかりを求めるのが、むしろ自然な傾向です。

 

そしてここの落とし穴こそが、状況はみんな同じであるということです。

 

ココに注意

私たちは、落ち着いて取り乱さない人間であると人から見られたいと思っています。
なので、全員が平然を装って何気なく周囲をチラ見しがちです。
従って、人々の目に入るのは、
少しも慌てず、アクションを起こさないでいる人々の姿になってしまう・・・。

その結果、社会的証明の原理により
「今起きている出来事は緊急事態ではない」と解釈されてしまうのです。
これこそがまさに、集合的無知の状態です。

 

LESSON2

緊急事態が起こったとき、
「周りに人が多いと助かりやすい」と考えるのは基本的には誤り。

むしろ、たった一人の人が居合わせている緊急事態の方が、生き残る可能性が高いことが多い。

 

 

よく、「都会の人は冷たい」と言う人が居ますが、
集合的無知の存在を考えると、その主張はあまり正確とは言えません。

彼らが中々助けてくれない要因は、何より他の傍観者の存在にあるのだから。

 

ココがポイント

居合わせた人が、
「これは緊急を要する事態だ!」と確信をもってくれさえすれば、助けてくれないことはほぼないはずなんです。
そして緊急事態時に助けてくれる人は、多くの場合とても頼もしく温かい行動をしてくれます。

目撃者が「これは助けた方がいいのか?」などと状況に確信がもてない場合、目撃者は少なければ少ないほど良いのです。

周りに人が居れば、何もしない人が多くなる。
且つ、その周りに居る人の全員が初対面なら、尚更この傾向は強くなります。

 

では何故、
大都市であればあるほど、私たちは助けようとしなくなってしまうのでしょうか?
そのポイントは3つあります。

本当に都会の人は冷たいのか?

  • 都市の方が騒がしい為、注意が散漫になりやすい。
    ですのでこのような場所では、自分が遭遇した出来事をしっかり確かめるのはかなり難しい。
  • 都市環境に居る場合、緊急かもしれない状況を目撃したとき、周りにはほぼ人がいる。
  • 周りを見渡せば人だらけ。そして都市は小さな町に住むのと比べて、周りが知り合いである可能性はかなり低い。

 

状況が分からずに混乱しやすく、
人が密集しており、
周りが知らない人だと・・・

状況が緊急事態の場合は、助けられる可能性が低くなる・・・

ということになります。

 

 

ですので、しっかりと覚えておいてください。

 

ココに注意

人は集団になると助けようとしなくなる。
しかし、それは決して彼らが不親切だからではない。
「緊急事態が本当に起こっているのか?」
「行動する責任があるのか?」
ただみんな、そういう確信がもてないだけ。

 

今回一番伝えたかったこと

「ん?これは手を貸さなきゃまずい!」

そう確信できれば、多くの人はすぐに反応して助けてくれる!!

 

 

 

○最後に・・・

もし私達が何らかの緊急事態に陥ってしまった時

集合的無知の犠牲者にならない為に

 

 

まずは集合的無知の問題点を今一度洗い出さなければなりません。

とにかく問題なのは、状況が不確実であるという状態を作ってしまうことです。
なので、不確実性をいかに減らすかが重要になってくるはずです。

 

 

例えば・・・

 

あなたは夏の午後、好きなアーティストのライブに出かけました。
ライブが終わり、あなたと人々は帰り始めます。

その途中、あなたは急にひどい頭痛に襲われました。
「すぐにおさまるだろう」と、また歩き出したものの・・・
今度は視界がぼやけたり、全身に嫌な痺れを感じるようにもなってしまった。

「休まなければ」と、近くの木によりかかって座り込んだあなた。
座っても体調は良くならないし、ついには立ち上がることもできなくなってしまいました。

表情がおかしく、変な場所で座り込んでいるあなたに気付く人も居ますが、誰も何の関心も示してくれません。
立ち止まった人は居るものの、少し周囲の人の反応を確かめた後は何事も無かったかのように通り過ぎていきます・・・。

 

さてこういう緊急事態に陥ってしまったとき、あなたには一体何ができるでしょうか?
具合は悪くなる一方ですので、ぐずぐずしてはいられません。
助けを呼ぼうとする前に意識を失ってしまったら、更に助けが呼ばれなくなってしまうかもしれないのだから。

仮に呻いたり、叫んだりしても効果は薄いでしょう。
周りの人を緊急事態だと確信させるには、これだけだとまだ情報が足りない。
ただ注意を引いたり、助けが必要だと「気付かせる」だけでは不十分。

この場合、一番効率的で信頼できる方法は1つです。

人々の中から1人を選び、その人だけを見つめて話しかけて、まっすぐ指をさしてあげればいい。
他の人は無視です。

「はい、○○の服を着たあなたです。お願いします、気分が悪いので助けてください!」と。

たったその一言だけで、選ばれた人を「救援者」の役割を担わせることが可能になります。
助ける責任は、他の誰でもない。「自分自身なのだ」と。

もちろん必要なら、どんどん声をかけて「救援者」を増やしていくといいでしょう。
助けは伝染してくれますから、あとは他の人に任せていればなんとかなるはずです。

 

 

犠牲者になりたくないのなら、助けの必要性は、しっかり正確に伝えましょう
居合わせている人々に自分で結論を出させてはならないのです。

恥ずかしいとか言ってられません。
失敗すれば命を失ってしまうかもしれないから・・・!!

ココがポイント

本来自分自身がやらないといけないことは、

「周りがどういう行動をしているか?」ではなく、
状況をしっかり見極めることなはず。

 




騙されないで!みんながやっているから正しい訳ではない

テレビ番組でよく使われている、「笑い声」から学べること

 

どこが面白いのか分からないところで「笑い声」が使われていたり、

頻繁に笑い声が使われていると、多くの場合不快感をもってしまいます。

 

にも関わらず、何故「笑い声」は頻繁に使われているのでしょうか?

 

 

しかしその理由を、多くの人はなんとなく分かっているはずです。

 

笑い所で「笑い声」を使うと・・・

①観客の笑う回数が増えたり、笑っている時間が長くなったりする。

②ネタは一層おもしろくなり、つまらないジョークのときこそ「笑い声」は特に有効である

こう考えると、特にお笑い番組で利用されているのも筋が通っていると言えますね。

 

だけど、ここでまた更に疑問が浮かびます。

私たちは、
本物ではない録音された笑いであると気付いています。
人工的に作られたものであるとはっきり知っています。

なのにどうして、「笑い声」は私達にこうも影響を与えてしまうのでしょうか?

 

 

それを解き明かすカギとなるのが・・・

『社会的証明の原理』の存在です。

 

社会的証明の原理とは、
特定の状況下において、ある行動を遂行する人が多ければ多いほど、「これは正しい行動なのだ」と判断してしまうことを言います。
他のみんながやっているならば、「正しい行動なんだ」というものは普通はうまく機能してくれます。
だってその方が、それと反対の行動をとるよりも間違いを犯すことが比較的少ないからです。
大抵の場合、それを多くの人が行っているのならば、それは正しい行動とされますよね。

 

 

だがしかし・・・

社会的証明の原理、つまり周りと同じ行動をしていれば、行動の仕方を手っ取り早く決められて楽。

しかし、これに頼りすぎると痛い目をみます。

 

さきほどのテレビで使われている笑い声で言えば、
面白いかつまらないかどうかを他人の笑い声から判断することが愚かということではありません。

問題なのは、

偽者であると分かっているのに、それがまるで本物の笑いであるかのように反応してしまうことです

 

ココを抑える!

「みんながやっているから、この行為は正しい」と仮定してしまう私たちの傾向は、色々な場面で悪用されてしまうことを覚えておきましょう!

 

いくつか例を見てみましょう。

 

例1

募金活動の場合。
前もって募金箱にお金を入れておけば、募金してくれる頻度も高まります。
もしくは、街中にサクラを仕込んでおいて、打ち合わせどおり決められた時間に前に進み出て証言と募金を行わせます。

 

例2

広告でよく見かけると思いますが、
「この製品は、今後かなり伸びていきます!」
「一番売れています!」
といったことを強調しているものが多いですよね。
だってそうすれば、製品の良さを直接分からせる必要などないからです。

そして既に購入をした方々の氏名を読み上げたりすれば、
「御覧なさい!みんな購入しています!これを買うことは正しいことに決まっているんです!」
という、非常に効果的なメッセージを未購入者に与えることもできます。

 

例3

お店の経営者の人の中には、まだお客さんを入れる余地があるのにも関わらず、入場制限をして「あえて」外に行列を作らせて、お店の質の高さを示そうとしたりします。

 

 

上でご紹介した例はどれも、目に見える社会的証明をでっちあげています。

 

 

今回のまとめ

  • 「多くの人がそう考えている」
    たったこれだけのことなのに、それは十分な証拠であると思わせることが可能
  • 「自分はこれからどうしていくべきなのか?」の問いに対して、自分で決めれる人はほとんどいない。
    大抵の人は、他人を真似て決める人
  • 結局私たちは、他人の行動には敵わない

 




「分かりました、やります。」と言って、結局やれずに気まずい思いをしたことはありませんか?

 

※まずは復習

本記事をお読みになられる前に、一度コミットメントについて知っておきましょう。

コミットメントをざっくり言うと

自分が下した決断を、「間違っていないはずだ」と正当化し、その決断に沿った行動をしてしまうこと

※コミットメントの記事はコチラ

 

 

「今自分がやっていることは正しいのだ」
こう思うようになると、以前には気付かなかったような事実に注目するようになっていきます。

 

 

例えば、以前はボランティアなんか何の興味も無かったはずなのに、一度署名をしてしまった今ではしっかり耳に入ってくるし、説得力も感じやすくなってしまう。

といった具合に、

一貫性を保とうとする欲求は、
「公共精神に溢れた行動をとることが正しい選択だったのだ」と・・・
自身に確信させようとするんですね

 

以上のことを踏まえて、
今回は自己補強のコミットメントについて学んでいきます。

自己補強のコミットメントとは、
新たに形成された自己イメージを、理由を付け加えながら成長させていくことを言います。

 

 

ここに注意

しかし自己補強のコミットメントも、他人を食い物にしようとする人たちがよく使い、私達に誘いをかけてくることがあります。

 

 

参考として、自己補強のコミットメントが使われている例をご紹介しておりますので、興味があれば是非どうぞ。

 

 

 

 

他にも、紹介した例と似たような手口はたくさんあるとされていますが、基本的な手口はどれも同じです。

ポイント

まず相手にとって有利な条件を提示し、
喜んで買うという決定を誘い出す。
そして決定が下されて、契約が完了するまでの間に、
元々あった有利な購買条件を巧みに取り除いていく。

 

 

ただこれだけ見てみると、「いやいや。こんな手口に騙される人おらんやろ!」と考えてしまいます。

 

しかし、これが上手くいくんです。

参考

その理由として考えられるのは、
「自分が望んでいた金額よりも遥かに安い!」と思ってしまうと、まず幸福感に襲われます。
ですので、「ちょっとの損失なんて取るに足らないものだ」大半の方は思ってしまうものなんです。

 

 

一貫性というのは基本的には良いものではあります。
ただし、これまでご紹介してきたように、

よく考えもせずにただ自動的に一貫性を保とうとするのは大変危険です。

 

 

さもないと、
この人間の傾向を利用して儲けようと企む輩の標的に簡単に選ばれてしまいます。
かといって、一貫性の行動を全て排除しようと思ってもいけません。

一貫性は、あまり深く考えずに適切な行動をとらせてくれるもの。
ですので、新しい行動のたびにいちいち立ち止まりながら、その利点を考えていたら時間がいくらあっても足りません。

 

 

そんな板ばさみ状態から抜け出すにはやはり、
「不利な選択を導く一貫性とはどういうものなのか?」
・・・これを知っておく必要があります。

 

その手がかりとして一番分かりやすいのは、
「やりたくない」と分かっていることをやらされそうになっていると気が付いたとき、私達に届けられるあのサインです。

そう、胃からの明確なメッセージです。

本当はやりたくもないことに対して同意をした瞬間、まるで胃がムカムカするような感じがしたことはありませんか?

それもそのはず。
それは、私たちの脳に向けられた「おい!ちょっとおかしいんじゃないか?」というメッセージなのだから。

とはいっても、
大抵そういう場合、逃げ道がないことがほとんどでしょう。

自身を窮地に追い込んでいっているのは、大抵の場合は自分自身の発言に原因があります。
例えば、誰かに何か言われる度に「はい、分かりました」(適当)と、ただ反応しただけに過ぎない返事をするなど。

この場合に、

「何かおかしい」と感じて申し出をただ断ってしまうものなら、ただの嘘つきになります。

他にも、

「すみません、実は用事があったのを思い出して・・・」とか言うと、相手から「適当な奴なんだな」とか思われてしまう。

 

まとめ

みーんな、おかしいことには気付いてはいるはず。
要するに、

自分が既に言ってしまった事との一貫性を保とうとする欲求に、私たちはいつも陥れられてしまっている。

ということですね。

 

 

参考

では、心からの”あの”メッセージとはどういうものなのでしょうか?

もう少し知っておきたいと思われた方は、

自身の素直な感情に気付くコツ

をご覧になられてください。

 

 

「本当は欲しくもないものに、お金を使うのは馬鹿げている。
私の胃が、あなたの提案には用が無いと言っている。
だからごめんね、その要求は聞けません。」

これを伝えてあげれば、普通なら相手はちゃんと分かってくれるはずなんです
相手が本当にあなたを人間として心の底から尊重しているのなら・・・

 




誰かに意見を伝える時は、よく考えたい話

小さなコミットメントだとしても、うまく使えば、
善良な市民を「奉仕者」に、
見込み客を「顧客」にも変えることができてしまう。

相手をどうしても自分の協力者にしたいのなら、

ほんの些細な依頼を引き受けてもらうことから始めてみると、うまく行くのかもしれません。

 

 

 

そもそも人の本当の感情や信念は、言葉ではなく行動にあらわれるとされています。
なので私たちは多くの場合、相手がどのような人なのか判断するときには、その人の行動をよく見るはずです。

逆に私達自身も、自分がどのような人間であるか判断する場合、
「これが自分だ!」という証拠と、自分の行動を見て判断しています。

 

自分の信念だったり、
自分の価値だったり、
自分の態度だったり・・・。
どれもこれも全て、主な情報源は自分の行動なんですよね。

 

例えば・・・

もしもあなたがボランティア団体の人から署名を頼まれたときに、軽い気持ちでそれに記入してしまうと、後日呼ばれたときに参加を引き受けやすくなってしまいます。
そして参加した場合、その参加理由を自分自身の価値観、好み、性格などと関連付けて説明してしまう傾向があるのです。

コミットメントは、人が自己イメージを形成する為に使う情報を提供し、その自己イメージは自分自身の将来の行動を決めるものです。
そしてその行動は、新しくできた自己イメージを更に強固なものにするでしょう。

 

まずは一度、例を見てみましょう。

 

戦争中、ある国が敵国の捕虜を従わせる為に利用したコミットメントがあります。
その理由は、仮に捕虜が自分たちの意見に口頭で同意したとしても、まだ安心できないからです。

まずは捕虜に、自主的に捕虜を捕らえた自分たちが望んでいる内容の文章を捕虜に書かせるように促しました。

もしもそれを捕虜が拒否した場合。
そのときは、予め用意しておいた自分たちが望んでいる文章を、捕虜にただ書き写しさせたのです。

捕虜にとっては、おそらくそれが「害の無い譲歩」に思えたに違いないでしょうから、特に怪しむことなく行ったのでしょう。

 

 

ほんの些細なことに思えるコミットメントが、更なる行動を生み出すのは既に述べた通り。
ですがこのように、
意見を書かせるコミットメントは非常に厄介です

 

書いてしまうと厄介になる2つの理由

①その行動をとったという証拠が残ってしまうから。

口頭とは異なり、その行動を忘れたり取り消したりすることなんかできないですよね。
つまり記録された行動のせいで、やってしまったことと一貫性を保たなければならなくなってしまうのです。
その為、自分の信念や自己イメージを変えざるを得なくなってしまう。

②記録として残ってしまうから

文章となった意見は、もちろん他の人々に見せることができる。
書いてしまった本人が後でいくら拒否しても、その文章は確実に彼らを書かれた意見の方向へ導こうとする。
そしてその文章を見た人間は、この意見を心底信じてしまう。

 

知っておきたい

もしも何らかの意見が書かれた文章を第三者が見てしまうと、

「これは書いた人の本心を映しているに違いない」思ってしまうのが人間なんです。

その為、誰かに意見を書かせて記録に残すと、それを書いた本人はその内容と一貫した行動を取らざるを得なくなる。

要するに、

意見を文章化させることがあると、その文章と一貫した人間に見られたいばかりに、その立場を維持しようとする強い気持ちが生まれます。

 

 

一貫性がない人は、
「気まぐれ」「優柔不断」「軽はずみ」な人だと判断されてしまう

一貫性がある人は、
「確かな」「信頼のおける」「健全な」人だと判断される

こうした点を考えていけば、人々が他者から「一貫していない」と見られるのを避けたがるのも当然ですよね。

 

今回の要点

自分の意見が広く知れ渡っていればいるほど、自分の格好ばかり気にするようになり、意見を変えにくくなってしまう

ということなんです。

 

とはいえ、

この人間の傾向って上手く有効活用できないこともないんですよね。

 

☆参考☆

例えば、
ダイエットを決意し、目標の減量数値まで到達させたいのなら、その目標をできるだけ多くの友人、親類、隣人に見せるようにするといいでしょう。

「今度こそはダイエットしてモテモテになるんや!」と、
その決意表明として、ダイエットサポートを専門とするクリニックにお金を払い、一貫性を保とうとする必要などないのです。

 

 

 

それでは最後に、それらをうまく利用した例を2つご紹介しましょう。

 

例1

「禁煙したい!」ときは・・・

  • 人生において自身が「この人から失望されたくない!」と思う人達をリストアップする
  • リストアップしたら名刺サイズのカードを用意し、1枚1枚に「タバコはもう吸わないことを誓います」などと書く
  • カードを全員に速やかに渡す

タバコを吸いそうになったとき、「カードを渡した人たちからどれだけ軽蔑されるだろうか?」などと考えるでしょう。

だって、もしもそこで踏みとどまれなかったら・・・!

 

 

 

例2

とあるレストランの話で、お店は問題を1つ抱えていました。

それは、

予約をしたお客様が、当日になってもお店に現れないことです。
特にこのレストランは、その問題の割合が多かったとのこと。

そこでそこの経営者がとった行動とは・・・?

予約の受け付け方の変更

  • 予約を受け付けている従業員に、「予約に変更がありましたらご連絡下さい」と言うことをやめるように促す
  • その代わりに、「予定に変更があったらご連絡頂けますか?」と相手に尋ね、答えを出させるようにした。

ここのポイントは、

相手に約束を取り付ける質問をすることです。

それにより、お客さんはそれに従った行動を取る可能性が高くなるんですね。




小さな依頼でも無闇に引き受けないようにしよう

小さな依頼を簡単に引き受けているとどうなる?

 

 

 

※コミットメントとは?

引き受けたことは責任をもって成し遂げようとすることでした

コミットメントに関する記事はコチラ

 

 

コミットメントに関して、肝に銘じておかなければならないことがあります。
それは、
1度何かを引き受けたら、それが様々な行動を引き起こすことがあるということです。

 

参考

相手に大きな買い物をさせる為には、まずは小さなものを売るところから始めるのが良いとされています。

最初に買わせるのは、どんな安いものでも構いません。
何故なら、
売る目的というのは、儲けを出すことではなくコミットメントさせることにあるからです。
すると自然と、もっと大きな買い物へと流れさせられる期待ができるのです。

例を見てみましょう。

 

 

ある地域にボランティアの人が派遣されました。
その人は住民に、
「○○町を美しく保とう!」という依頼の書面に、署名を頼みました。

「住みやすい町にしましょう!」

「小さいお子様をもつご家庭に配慮し、助け合いましょう!」

といった内容です。

そしてこれに、多くの人が署名をしました。
(※これが小さなコミットメント)

そしてしばらく経ったある日、別のボランティアの人が派遣されました。
その人は、「安全運転をしましょう」と書かれた大きな看板の設置をする為、先日署名してくれた人々に依頼をし、協力を頼みました。

はじめは、安全運転とは無関係の地域の美化の署名だったはず。
にも関わらず、ほとんどの人々がこれに同意をしたのです。

 

 

さて、これは一体どういうことでしょうか?

簡単に言えば、

地域の人々は最初の書面をすることによって、自分自身を見る目が変わったことにあります。

 

 

参考

看板の設置に同意した人々は、
自らを「公民道徳に則って行動する善良な市民」だと見なすようになり、新たに作られた自己イメージとの一貫性を保ちたいと無意識に思うようになったのです。

その為、看板設置という別の公共奉仕の依頼であっても、簡単に人々は依頼に応じました。

 

このことから言えるのは、
私達人間は、一旦依頼に応じるとまず感情に変化が起こるということです。

そしてそれにより、考え方も変わっていくのです。

だからこそ私たちは、
どんなにささやかな依頼であっても、それに応じる場合は十分に気をつけなければなりません。

 

小さな依頼を易々と引き受けていると・・・

最初に応じたささやかな依頼とはほとんど関連の無い・・・
つまり様々な種類の依頼を受けやすくなってしまう!!

 

 

 

コミットメントの隠された恐るべき力

もしかしたらボランティアの本当の狙いは、「安全運転」の看板を設置させることだったのかもしれません。

そう考えられた人が、果たして中に1人でも居たのでしょうか?

看板の設置に協力した人々の中に、
「自分が看板の設置を許可したのは、最初の書面に署名したからだ」

そう考えられた人が、果たして中に1人でも居たのでしょうか?

そして仮にそれに自身が気付いてしまったとき・・・
一体誰に責任を負わせればいい?