良質な人間関係を築いていきたいなら、自分の1次感情をしっかりと周囲に伝えていこう

以下の記事を本記事の前に読まれると、もっと理解できます☆

コミュニケーションを妨げる自己防衛戦略とは

 

現実逃避をやりすぎるとロボットになる

 

 

悲しみを避けるのが問題ではなく、心の奥底の切望に気付かなくなるのが問題

 

相手から批判されたり拒絶されたりすると、わたしなんか特に自分を責めてしまいます。

きっと、ほとんどの人がそうではないでしょうか?

因みに、ここでいう『自分を責める』とは、自分を見下したり冷酷な言葉をかけることです

 

 

 

 

確かに、時には自分自身を批判的に見てあげて、「あれは自分が悪かった」と反省する時間を作ることは大事。

しかし、そんな自己批判が無意識に自動化されてしまうと、次第にコントロールできなくなり、不快な気分になる頻度が増えてしまう

 

例えばもしもあなたが、過去に周りからひどい批判を受けてきてしまっているのなら・・・
「自分には価値がない」という思い込みを無意識に生み出している可能性があることは想像つきますよね。

そうなってしまうと、相手からの批判を簡単に許してしまうようになります。
そんなあなたがやっているのは、過去からのパターンをただ繰り返しているだけ。

このように、自分自身に背いて他の人の味方をする自己防衛戦略は、
「相手との一体化」と呼ばれていて、孤独感や愛されていないという感情を覚えないようにすることが目的です。

 

 

良質な人間関係を望むのであれば、自分の感情はしっかりと確認しよう

 

現実逃避が自動化されて、無意識に繰り返していると、「恐怖」「怒り」「喜び」のうちのいずれかを抑圧してしまっていることがあります。

 

『恐怖』 『怒り』 『喜び』
唇や体が小刻みに震える 身体が熱くなる 踊りたい感覚に襲われる
叫んでその場から逃げ出したい衝動に駆られる 何かを壊したい衝動に駆られる 鼻歌をしてしまいそうになる
「怖い」と感じる 「怒っている」と感じる 「嬉しい」と感じる

 

 

また他にも、

ドッペルおにいさん

(街中で綺麗な人やイケメンを見かけて声をかけてみたい・・・)
(何かイライラするから誰かに暴言を吐いてみたい・・・)
(今手に取っている商品を万引きしてみたい・・・)

 

そんな願望が沸き起こったことが皆さん1度くらいはあるでしょう。そしてこれを当たり前のようにやってしまうのも当然好ましくありません。

なので、「願望はなるべく持たないようにしよう」などと普通は考えてしまうでしょう。

しかし意識して感情と向き合うには、願望もちゃんと考えてあげなければなりません。

 

例えば怒りを感じたとき、その裏に潜んでいる願望で多いのは
「めちゃくちゃにしてやる」「誰かを傷つけたい」ですよね。

こういう願望に気付いてしまったとき、わたし達は罪悪感を抱いてしまうかと思います。

でもよく考えてみると、この罪悪感には意味も根拠もありません

 

 

 

人が普段から見せる感情の多くは、『2次感情』

 

怒りという感情を例に考えていきましょう。

 

そもそも『怒り』とは、2次感情と呼ばれています。

2次感情があるということは、当然1次感情もあります。

では1次感情とは何なのか?

それは、怒り以外のネガティブな感情だと思ってください。
「寂しい」、「苦しい」、「怖い」などといった感情が1次感情に該当します。

 

怒ったときほとんどの方は「俺は今機嫌が悪いんだ(2次感情)ということを理解できるでしょう。

しかし本当に知る必要があるのは、怒りに覆い隠されている1次感情なのです。

 

 

 

自身の1次感情こそ分かってしまえば、その時の自分自身の心の状態が如実に現れます。

何故ならもうお分かりの通り、それが自分の本心だからです

 

例えば、

仕事で頼まれたことを忘れ、「何故やっていないんだ!」と上司からブチ切れられたとき・・・
上司は2次感情である怒りをぶつけています。
そして1次感情はおそらく恐怖とか悲しみや落胆でしょう。

上司の心の奥底にあるのは
「信じていたのに裏切られた」とか「これでは社長に怒られてしまう!」です。

もしもあなたが上司ならば・・・怒りを伝えるのではなくて、
「○○してなくて悲しかった」
「○○していないから俺は上に怒られてしまうだろう」
と、1次感情を部下に伝えると部下の心に近づくことができるのでオススメです!
すると部下も上司の事情に気付いてあげられ、部下も上司の心に近づくことができるに違いありません。

 

しかし、咄嗟に1次感情を伝えることはかなり難しいです。
何故なら、恐怖とか悲しみとか不安よりも、人間は先に怒りを感じてしまう生き物だから。

相手から怒られた場合は、相手の怒りに隠された感情を読み取ろうとする癖を身につけると、少しは楽になるのかもしれません。

 

 

自己防衛戦略の1つ『退行』

 

自己防衛戦略の1つに、「退行」というものがあるので学んでいきます。
因みに退行は、おそらく多くの方が一度は経験しているんじゃないかなと思います。

 

ドッペルおにいさん

まず退行とは、過去に用いていた戦略を再び用いてしまうことを言います。

精神的に相手に圧倒され、大人の対応をするのを諦めたときに退行はよく起きます。

例えば、誰かと喧嘩をしたり怒られたりしたときは、
ひどく泣きじゃくったり、
ベッドに横になったり、
話しかけられても誰とも話さなくなったりしますよね。

こうしてみると、一般的な現実逃避=退行であることが分かります。

 

例えば、

「どうして分かってくれないの!」
「私はこんなに頑張ってるのに!」
などといった、不安や恐怖があるレベルまで高まると、人はよく退行を起こします。

退行を起こした人は、自分が大人であることを忘れようとします。

なので当然、相手の事情などを一切考えられなくなってしまうでしょう。

見えるはずのものや相手との微妙な差異が分からなくなるので、よく感情が高ぶって自分をコントロールできなくなります。
こういう場合、周りに問題を背負わせることもあることを理解しなければなりません。

 

ドッペルおにいさん

退行とは、大人であることをやめることなんですね・・・。

 

 

定期的に感情に意識を向けてあげよう

さて、今までいくつか自己防衛戦略について偉そうに語ってきましたが、
いつの間にか自己防衛の戦略を取ってしまっている人が、仮にそれを指摘されると苛立ちや怒りの反応を示してしまうものです。

 

例えば人付き合いが苦手な私の例でいくと、

「話しかけられてから歩み寄っていたら、良質な人間関係は築けないよ。一緒に自分から話しかける練習をしていこう」
などと、どれだけ心地よいアドバイスをされたとしても、「私の何を知ってるんだ」などと不機嫌に反論したくなるものです。

一般的に怒りというのは、あくまでも非常事態で生き延びる為の方法。
積極的に感情面で利用していこうとすると、必ず行き詰まるでしょう。

しかし、一度関係性を壊すようなことをしても、それらをしっかり修復できるのであれば、怒る手段も時には有効でしょう。

ドッペルおにいさん

怒りを自分の力に変えられるようになれる人は、怒りという手段も時には有効ですね

 

とはいえ、初めは怒りを表現しても構いませんが、それが目的ではありません。
怒りに覆い隠されている感情を表現できるようになるのが最終目的です。

何故なら、他者と本当に近づいていく為には、自分の中の悲しみや渇望に気付いて、それらを表現することでしか果たせないからです。

 

例えば、

電車の中でお笑いを見て、人目を気にして笑うのを我慢したのなら・・・

家に帰ったら必ず大笑いする

親友が遠くへ引っ越してしまうとき、相手を心配させまいと泣きたいのを堪えたのなら・・・
家に帰ったら涙が枯れるまで泣いてみる

自分の思い通りにならずにブチ切れそうになったら・・・
何を脅かされて怒ってるのか探ろうとしてみる

こんな感じで感情に意識を向ける癖をつけてみてください。
騙されたと思って、一度感情をよく味わってみましょう。

 

 

本記事のまとめ

  • 私達は誰かに会うと、社会性の仮面を無意識に素早く装着します。それが原因で、自分の感情と向き合おうとする時間を取ろうとしなくなってしまいます。
  • 何か感情的になったときは、その感情が1次感情なのか2次感情なのか見つめる癖をつけてみましょう。
  • もしも奇跡的に、自分が現実逃避をしていることを認識できたら、それだけでも自身の感情に意識を向けられています。

 




定期的に感情と向き合っていかないと、思考がロボット状態になる

 

 

感情と向き合うとは?

 

 

前回の記事でも触れましたが、自己防衛戦略(現実逃避)を長期的にとっていくことに問題が生じるのであって、
ほんの一時的な措置で利用しているのであれば、自己防衛戦略は役に立つことがほとんどです。

 

 

以下の例を見れば、何となくお分かりになられるかと思います。

 

とある小さい子供が、学校へ行く途中に高学年の小学生からちょっかいを出され、転倒によって足を擦りむいてしまったとします。
学校に着いてからも、その子供の気持ちは沈んだままでしょう。

おそらくほとんどの子供は、時間の経過に頼って今を楽しく生きようとします。

これは、「自身の恐怖心から距離を置き感情に鈍感になろう」という自己防衛戦略の1つです

仮に先生から、
「足擦りむいたの?」などと聞かれてても、「こんなの平気だよ」とだけ言ってその場を後にするでしょう。

だけど・・・、平気なワケありません。

 

大人であっても子供であっても・・・

恐ろしい体験をした直後は、自分の感情と距離を置くことをよくやります

しかしその間の時間はどうでしょう?ある意味人生を無駄にしていると言えないでしょうか?

何故ならば、感情と向き合わなくなるということは、
遊びたい欲求
楽しい欲求
などといった、ポジティブな感情も全て無視するということだからです。

 

「感情を押し殺したままやるゲームは楽しいね!」
「引きずったまま食べるご飯は美味しいね!」
「怒られた後のYoutubeは最高だな!」

そんなワケないよね?って話です。

つまり、自分の感情と向き合わない状態というのは、まるでただロボットのように適応しているだけです。

 

自分の感情と距離を置いた状態(人生を楽しめない状態)のまま時間を過ごすのなんてみんな嫌なはず。

だから多くのアドバイザーは、「自分(感情)と向き合いなさい」とよく言うのかもしれませんね。

 

 

感情には向き合い方というものがある?

しかし、感情の向き合い方を少しでも間違えてしまうと、待っているのは更なる苦痛や絶望です。

上で述べた例で言えば、
家に帰って両親に「上級生からされたこと」「足を擦りむいて痛かったこと」、即ちネガティブな体験をちゃんと話し、それを両親がしっかり聞いてくれたのなら、子供はネガティブな感情と向き合うことができます。

 

ネガティブな感情と向き合えると、遊びたい欲求や楽しみたい欲求を感じることができます。
つまり、また楽しい時間を過ごせるようになっていくのです。

 

 

もしも子供が我慢できず、間違って熱血教師に打ち明けてしまった場合はどうなるでしょう?

すると、「負けるな!」「やり返せ!」などと、まるで「弱い自分が悪い」かのように言われるはずです。

これでは何の問題解決にもなりません。

今日も明日も落ち込んだまま学校に行って、
「上級生に言い返そうかどうしようか?でも怖いな」などという、余計なエネルギーを費やさなければならなくなります。

 

相談相手はしっかりと!

相談する相手を間違えると、ネガティブな感情と向き合えるきっかけを見失ってしまう!

 

 

自分の心を慰めたり気持ちを立て直させてくれる人が居る
再び自分自身の心と良質な交信ができるように、手助けをしてくれる人が居る

そんな人が身近に居るあなたは本当に幸運です。
彼らを大事にしてください。
あなたの人生に関わることです。

身近にそんな人が居るのであれば、辛いときは安心して現実逃避を行うことができるでしょう

 

 

 

ネガティブな気分はもちろん、ポジティブな気分になっても心の傷は蓄積されてしまう

 

感情の向き合い方を学んでいくにつれ、こんな疑問が浮かんできませんか?

 

こういう人は感情と向き合えている?

理不尽を言われても「あーはいはい。」とうまく聞き流せる自信があったり、

何があっても「俺って超ポジティブ!!」と気持ちを前向きにもてる・・・。

これらの人は、しっかり自身の感情と向き合えているのでしょうか?

 

・・・その答えはNOです。

 

何故なら、

「ポジティブな自分」は、自らが都合よく作り上げた「自分」であることが多いからです。

多くの人が抱くポジティブには、『擬似感情』が含まれていることがあります。

擬似感情とは・・・
まず感情のほとんどは無意識に感じるものですよね。
一方で擬似感情は、分かりやすく言えば「こういう感情を抱こう」と自らが意識して決めた感情のことを言います。

このことから、ポジティブな状態になれたからといって、感情と向き合えるワケではないことが分かります。

例えば、「いつも友達に囲まれて嬉しいな!幸せだな!」という気持ちの人は、外交的という仮面を被りながら、心の奥底にある感情や願望に触れることをしないのです。

 

重要ポイント

何か落ち込むようなことがあったとき・・・

あなたがいつもポジティブであろうが、いつも笑っていようが。
心には苦痛が蓄積されていることを私達はよく忘れてしまうんですよね。

それは何故か?
それらのほとんどは無意識な自己防衛戦略だからに他なりません。

過去のことをいつまでも引きずってしまっていると感じたら、感情と向き合うことを必ずどこかでやってあげましょう!

 

 

 

現実から逃げている人に現実を教えてあげるのは正しい?

 

「無意識の自己防衛戦略を繰り返すと、人は迷走しやすくなるんや!」
「人間はいつの間にか、相手を突き放すような言動をとってしまっていることに気付くべきなんや!」
「相手が中々自分が望んだような反応をしてくれないことがあるやろ!それは何故か考えたことあるか!?」

などと、いくらわたしが周囲に必死に訴えても、ほとんどの人は無反応だったり、人によっては憤りを覚えることも。

しかし無理もありません。
現実を思い知ることを多くの人が抵抗してしまうのは、
「人格を否定しているのか?」
「俺がこういう人間であることを、お前が受けいれるべきだろう!!」
などと思ってしまうからです。

無意識の自己防衛戦略に気付くということは、自分自身が置かれている現実を目の当たりにするということです。
それらの戦略の多くは、他者を遠ざける手段になってしまっていることを、人は中々認められません。

ついつい他者を遠ざけるよう言動をしてしまう・・・。

それはきっと、悲しみを感じるのを避けようとしているから。

 

 

人にしろ物にしろ動物にしろ・・・
「愛するもの」というのは、いずれどこかで失ってしまうもの。

それらを失うことで悲しみを感じてしまうことは避けられない。

しかし悲しみすぎるあまり、その愛するものが自分にとって重要な存在になることを無意識に拒もうとしてしまう
これが私達。

 

 

そう考えると、

本当は仲良くなりたいのに、相手を失うことを考えるととても辛いので、あえて突き放すような言動をとってしまうのは珍しいことではないんです。

悲しみの感情を感じたら特に、きちんと向き合う作業が必要でしょう。

 

では悲しみと向き合えている人とは具体的にどういう人達のことを指すのでしょう?

おそらく考えられるのは、
悲しみを味わうことで、新たな生きる活力を身につけていける人や、
悲しみを通して物事の別の側面を見出せるような人のことを言うのでしょう。

ここまでいけば、悲しみをそこまで恐れずに突き進んでいけるようになります

 

 

悲しみと向き合うことを現実は許してくれない

 

 

確かに愛するものを失い悲しむことに時間を費やすのはとても重要なことではありますが、この忙しすぎる現代社会はそれをきっと許してはくれないでしょう。

これが現実

他の大切な人達の存在があります。
くよくよしてられません

仕事があります。
→生活がかかっているから、最悪抗うつ剤を打ってでも会社に行かなくてはならない

このように世間は、
「すぐに現実に戻って様々な課題に対応しろ!」と私達にプレッシャーをかけ続けてきます。

 

人間は人生の中で様々な喪失や悲しみを体験するはず。
だけどそれを感じていくのを避け続けることしかせず、きちんと対処してこなかった人は、悲しみを抱えたまま今を生きていると言えるでしょう。

 

喪失は大きな悲しみと混乱を与えてきます。
これを防ぐ為にほとんどの人が悲しみを忘れるようにしています。
忘れるのが一番心地良いからです。

 

 

 

自己防衛戦略の1つ『取引』

 

わたしの話をさせてください。

わたしがよくやる自己防衛戦略の1つとして、『取引』というものがあります。
これも当然、悲しみを避けるためにやってしまっているものです。

『取引』を簡単に言うと、
なるべく誰かと親しくなろうとはせずに、あくまでも情報交換をし合うような関係を望んでしまうことですね。

相手が私に対して有益な情報を与えてくれたら、
何故か知らないですが・・・
私もそれに対抗して相手に何か情報を与えようと、「何か相談乗ろうか?」などとついつい口にしてしまうのです。

要するに、お互いに不満を言い、お互いに楽しみ合うといった関係ですね。

 

 

『取引』の関係においては、悲しみを感じることはほとんどありません。
更に言ってしまうと、この関係は誰とでも築けます。

つまり『取引』という自己防衛戦略は、
「あなたは私にとって特別な存在ではない。 あなたの代わりの関係はいくらでも築けるのだ」という、胸糞悪いメッセージを相手に送っているとも言えますよね。

 

関係が大切なものにならないよう、相手と取引のような関係を築いているわたしの目の前には選択肢は2つ。

 

①悲しみを感じなくて済むような安全の道を行き、つまらない関係を築きながら生きるか・・・

②悲しみを感じつつ前に進んでいくか・・・。

 

わたしもそろそろ、選ぶ必要があるようです・・・。

 

 

本記事のまとめ

  • 悲しみに対処せずに背負い続けながら生きると、悲しみに敏感になったり、悲しみに対する恐怖を感じやすくなる
  • 人は不適切な自己防衛の戦略を次々と編み出していき、それらは徐々に人格に埋め込まれていく。
  • ネガティブになったときや、ポジティブになったときは、無意識に現実逃避をしていないか確認しましょう!