定期的に感情と向き合っていかないと、思考がロボット状態になる

 

 

感情と向き合うとは?

 

 

前回の記事でも触れましたが、自己防衛戦略(現実逃避)を長期的にとっていくことに問題が生じるのであって、
ほんの一時的な措置で利用しているのであれば、自己防衛戦略は役に立つことがほとんどです。

 

 

以下の例を見れば、何となくお分かりになられるかと思います。

 

とある小さい子供が、学校へ行く途中に高学年の小学生からちょっかいを出され、転倒によって足を擦りむいてしまったとします。
学校に着いてからも、その子供の気持ちは沈んだままでしょう。

おそらくほとんどの子供は、時間の経過に頼って今を楽しく生きようとします。

これは、「自身の恐怖心から距離を置き感情に鈍感になろう」という自己防衛戦略の1つです

仮に先生から、
「足擦りむいたの?」などと聞かれてても、「こんなの平気だよ」とだけ言ってその場を後にするでしょう。

だけど・・・、平気なワケありません。

 

大人であっても子供であっても・・・

恐ろしい体験をした直後は、自分の感情と距離を置くことをよくやります

しかしその間の時間はどうでしょう?ある意味人生を無駄にしていると言えないでしょうか?

何故ならば、感情と向き合わなくなるということは、
遊びたい欲求
楽しい欲求
などといった、ポジティブな感情も全て無視するということだからです。

 

「感情を押し殺したままやるゲームは楽しいね!」
「引きずったまま食べるご飯は美味しいね!」
「怒られた後のYoutubeは最高だな!」

そんなワケないよね?って話です。

つまり、自分の感情と向き合わない状態というのは、まるでただロボットのように適応しているだけです。

 

自分の感情と距離を置いた状態(人生を楽しめない状態)のまま時間を過ごすのなんてみんな嫌なはず。

だから多くのアドバイザーは、「自分(感情)と向き合いなさい」とよく言うのかもしれませんね。

 

 

感情には向き合い方というものがある?

しかし、感情の向き合い方を少しでも間違えてしまうと、待っているのは更なる苦痛や絶望です。

上で述べた例で言えば、
家に帰って両親に「上級生からされたこと」「足を擦りむいて痛かったこと」、即ちネガティブな体験をちゃんと話し、それを両親がしっかり聞いてくれたのなら、子供はネガティブな感情と向き合うことができます。

 

ネガティブな感情と向き合えると、遊びたい欲求や楽しみたい欲求を感じることができます。
つまり、また楽しい時間を過ごせるようになっていくのです。

 

 

もしも子供が我慢できず、間違って熱血教師に打ち明けてしまった場合はどうなるでしょう?

すると、「負けるな!」「やり返せ!」などと、まるで「弱い自分が悪い」かのように言われるはずです。

これでは何の問題解決にもなりません。

今日も明日も落ち込んだまま学校に行って、
「上級生に言い返そうかどうしようか?でも怖いな」などという、余計なエネルギーを費やさなければならなくなります。

 

相談相手はしっかりと!

相談する相手を間違えると、ネガティブな感情と向き合えるきっかけを見失ってしまう!

 

 

自分の心を慰めたり気持ちを立て直させてくれる人が居る
再び自分自身の心と良質な交信ができるように、手助けをしてくれる人が居る

そんな人が身近に居るあなたは本当に幸運です。
彼らを大事にしてください。
あなたの人生に関わることです。

身近にそんな人が居るのであれば、辛いときは安心して現実逃避を行うことができるでしょう

 

 

 

ネガティブな気分はもちろん、ポジティブな気分になっても心の傷は蓄積されてしまう

 

感情の向き合い方を学んでいくにつれ、こんな疑問が浮かんできませんか?

 

こういう人は感情と向き合えている?

理不尽を言われても「あーはいはい。」とうまく聞き流せる自信があったり、

何があっても「俺って超ポジティブ!!」と気持ちを前向きにもてる・・・。

これらの人は、しっかり自身の感情と向き合えているのでしょうか?

 

・・・その答えはNOです。

 

何故なら、

「ポジティブな自分」は、自らが都合よく作り上げた「自分」であることが多いからです。

多くの人が抱くポジティブには、『擬似感情』が含まれていることがあります。

擬似感情とは・・・
まず感情のほとんどは無意識に感じるものですよね。
一方で擬似感情は、分かりやすく言えば「こういう感情を抱こう」と自らが意識して決めた感情のことを言います。

このことから、ポジティブな状態になれたからといって、感情と向き合えるワケではないことが分かります。

例えば、「いつも友達に囲まれて嬉しいな!幸せだな!」という気持ちの人は、外交的という仮面を被りながら、心の奥底にある感情や願望に触れることをしないのです。

 

重要ポイント

何か落ち込むようなことがあったとき・・・

あなたがいつもポジティブであろうが、いつも笑っていようが。
心には苦痛が蓄積されていることを私達はよく忘れてしまうんですよね。

それは何故か?
それらのほとんどは無意識な自己防衛戦略だからに他なりません。

過去のことをいつまでも引きずってしまっていると感じたら、感情と向き合うことを必ずどこかでやってあげましょう!

 

 

 

現実から逃げている人に現実を教えてあげるのは正しい?

 

「無意識の自己防衛戦略を繰り返すと、人は迷走しやすくなるんや!」
「人間はいつの間にか、相手を突き放すような言動をとってしまっていることに気付くべきなんや!」
「相手が中々自分が望んだような反応をしてくれないことがあるやろ!それは何故か考えたことあるか!?」

などと、いくらわたしが周囲に必死に訴えても、ほとんどの人は無反応だったり、人によっては憤りを覚えることも。

しかし無理もありません。
現実を思い知ることを多くの人が抵抗してしまうのは、
「人格を否定しているのか?」
「俺がこういう人間であることを、お前が受けいれるべきだろう!!」
などと思ってしまうからです。

無意識の自己防衛戦略に気付くということは、自分自身が置かれている現実を目の当たりにするということです。
それらの戦略の多くは、他者を遠ざける手段になってしまっていることを、人は中々認められません。

ついつい他者を遠ざけるよう言動をしてしまう・・・。

それはきっと、悲しみを感じるのを避けようとしているから。

 

 

人にしろ物にしろ動物にしろ・・・
「愛するもの」というのは、いずれどこかで失ってしまうもの。

それらを失うことで悲しみを感じてしまうことは避けられない。

しかし悲しみすぎるあまり、その愛するものが自分にとって重要な存在になることを無意識に拒もうとしてしまう
これが私達。

 

 

そう考えると、

本当は仲良くなりたいのに、相手を失うことを考えるととても辛いので、あえて突き放すような言動をとってしまうのは珍しいことではないんです。

悲しみの感情を感じたら特に、きちんと向き合う作業が必要でしょう。

 

では悲しみと向き合えている人とは具体的にどういう人達のことを指すのでしょう?

おそらく考えられるのは、
悲しみを味わうことで、新たな生きる活力を身につけていける人や、
悲しみを通して物事の別の側面を見出せるような人のことを言うのでしょう。

ここまでいけば、悲しみをそこまで恐れずに突き進んでいけるようになります

 

 

悲しみと向き合うことを現実は許してくれない

 

 

確かに愛するものを失い悲しむことに時間を費やすのはとても重要なことではありますが、この忙しすぎる現代社会はそれをきっと許してはくれないでしょう。

これが現実

他の大切な人達の存在があります。
くよくよしてられません

仕事があります。
→生活がかかっているから、最悪抗うつ剤を打ってでも会社に行かなくてはならない

このように世間は、
「すぐに現実に戻って様々な課題に対応しろ!」と私達にプレッシャーをかけ続けてきます。

 

人間は人生の中で様々な喪失や悲しみを体験するはず。
だけどそれを感じていくのを避け続けることしかせず、きちんと対処してこなかった人は、悲しみを抱えたまま今を生きていると言えるでしょう。

 

喪失は大きな悲しみと混乱を与えてきます。
これを防ぐ為にほとんどの人が悲しみを忘れるようにしています。
忘れるのが一番心地良いからです。

 

 

 

自己防衛戦略の1つ『取引』

 

わたしの話をさせてください。

わたしがよくやる自己防衛戦略の1つとして、『取引』というものがあります。
これも当然、悲しみを避けるためにやってしまっているものです。

『取引』を簡単に言うと、
なるべく誰かと親しくなろうとはせずに、あくまでも情報交換をし合うような関係を望んでしまうことですね。

相手が私に対して有益な情報を与えてくれたら、
何故か知らないですが・・・
私もそれに対抗して相手に何か情報を与えようと、「何か相談乗ろうか?」などとついつい口にしてしまうのです。

要するに、お互いに不満を言い、お互いに楽しみ合うといった関係ですね。

 

 

『取引』の関係においては、悲しみを感じることはほとんどありません。
更に言ってしまうと、この関係は誰とでも築けます。

つまり『取引』という自己防衛戦略は、
「あなたは私にとって特別な存在ではない。 あなたの代わりの関係はいくらでも築けるのだ」という、胸糞悪いメッセージを相手に送っているとも言えますよね。

 

関係が大切なものにならないよう、相手と取引のような関係を築いているわたしの目の前には選択肢は2つ。

 

①悲しみを感じなくて済むような安全の道を行き、つまらない関係を築きながら生きるか・・・

②悲しみを感じつつ前に進んでいくか・・・。

 

わたしもそろそろ、選ぶ必要があるようです・・・。

 

 

本記事のまとめ

  • 悲しみに対処せずに背負い続けながら生きると、悲しみに敏感になったり、悲しみに対する恐怖を感じやすくなる
  • 人は不適切な自己防衛の戦略を次々と編み出していき、それらは徐々に人格に埋め込まれていく。
  • ネガティブになったときや、ポジティブになったときは、無意識に現実逃避をしていないか確認しましょう!