一貫性をもう少し学ぶ
前の記事で、「人は一貫性を保とうとする傾向がある」とお伝えしました。
例えば突然知らない人から、
「トイレに行く間、ここにカバンを置いておくので、誰かに盗まれないようにカバンを見ておいてもらえませんか?」
と、頼まれたところをイメージしてみてください。
これを断れば、そのカバンがどうなろうとも当然あなたに責任はありません。
しかし同意をすると、一貫性の原則が働きます。
すなわち、多くの人は警備員のような役目を果たそうとするのです。
もしも対象となっているカバンを、他の誰かが持ち去ろうとしたら追いかけて呼び止め、声をかけます。
また、時には体を張って行く手を遮ったり、力づくで奪い返そうとするかもしれません。
では何故、人はこのように一貫性を保とうとしてしまうのかと言うと
もしも言うことと実際の行動が一致していなかったら、
「裏表がある人ではないか?」
「頭がおかしいのではないか?」
などと思われてしまうからです。
参考
言ってることと行動が一致している人は、
「人柄が優れていて知的である」と見られるのが普通です。
なので、
一貫性は日常生活の大部分において、重視されるものの1つと言えます。
例えそれが正しくなかったとしても、です。
しかし、
一貫性というものには、手に負えない魅力が隠されています。
まず私達人間は、
「考えるのが嫌だ」ではなく、「考えた結果が不快だから」という理由で考えるのを避けることがあります。
その理由は、
物事は大抵の場合、秩序正しく考えていくとどうしても望んでいないような答えがはっきり出てしまうものだからです。
一貫性は、そんな嫌なことを知らずに済む安全な隠れ家を提供してくれます。
そしてその隠れ家に閉じこもっていれば、「理性」という激しい攻撃を受けても傷つかずに済むのです。
ちょっと分かりづらいかと思うので、例を見てみましょう。
ある日、あなたの元にこんなチラシが届いたと仮定します。
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説明会を担当している若者二人は、「瞑想により、様々な素晴らしいものが手に入る!」と主張していました。
そして説明会終了後、その若者二人が参加者に質問を求めたときに、それは起きました。
参加者の一人の男性がイライラしながら手を挙げました。
すると男性は、今までの二人の若者の説明に対して
矛盾点、どうしてそれが有り得ないのかなどを正確に指摘したのです。
(その男性は、どうやら論理学を専門としている大学の教授とのことでした。)
若者二人は激しく動揺し、弱弱しく反論を試みるも、途中で詰まってしまいました。
しばらくの沈黙の後、ついに若者二人は「あなたの指摘は的確なもの」であると認めました。
普通なら説明会は大失敗に終わっているはずです。
がしかし、何と二人の若者に入会費を払おうとする人が列をなしたのです。
不可解なほど、多くの参加者が入会を決めていました。
さて、何が起こったのでしょうか?
「参加者が、大学の教授の論理を理解できなかったんでしょ?」
などと考えられるかもしれませんが、何と実際は全く逆だったのです。
参加者はしっかり理解していました。
説明会に参加した男性3人を思い出してみましょう。
彼らはもちろんですが、参加者のほとんどが本当に切実な問題を抱えた人達です。
そしてその問題の解決方法を強く望んでいるはず。
要するに・・・
つまり彼らは、
「この瞑想こそ求めていた解答」だと信じたくて仕方がないのです。
ところが、「その解決策の理論はおかしい」という声が上がってしまった。
その論理が彼らの「救い」という考えを打ちのめし、彼らを再び絶望へと突き落とすことは分かりきっているはずです。
彼らは早急に何か手を打たなければならなくなりました・・・。
だって、「もう考えたくない!」のだから。
「急いで隠れなければ!理性から。
・・・そうだ!お金を払って入会してしまおう!」
よし!これで決定は下された。
もうこれで何も考える必要はないよね。
「瞑想?あぁ、効果でていると思いますよ?
だって、入会金を払ってしまったのだから・・・」
このように
一貫性を保つことって、凄く心地よいものなのです。
色々なやり方を探し求めて、不安になったりするよりははるかにマシでしょう。
だけど、
まるで一貫性にしがみつくようなこの行為は、果たして賢い選択なのでしょうか・・・?
一貫性の利用されている例をもう少し見てみたい方は、